ドクロを担いで
Shoulder the skull
あけましておめでとうございます。毎年のことですが今年こそはよろしくお願いしたいです。そして今年は年男。昔は数え年として、誕生日に関係なく元日に年齢を数えていた。今年のコラム初めは、ありがたくもあり、ありがたくもなしというお話。
もうそろそろ正月ネタは切れそうだが今年も何とか捻り出す。今年は戌年。戌年にちなんだ何かにしようと思ったが、年男なので歳をとるって事にフォーカスする。
昔は正月が来ると1つ歳をとっていた。産まれた時が1歳で、何月生まれであろうと正月が来たら2歳。とんち話で有名な一休さん、正確には 一休宗純の詠んだ句にこんなものがある。
正月や(門松は) 冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし
正月になると(門松を立てると)、誰でも一つ歳をとる。つまり冥途に一歩近づくのだから、正月が来たからと言って、目出度がってばかりも居られない。 だから、目出度くもあるし目出度くもない。
どんな人でも必ずいつかは死ぬ。そして、このようなドクロに成り果てる。 生きているうちに、たんといいことをすりゃ極楽へ誘われる。
あんたたち大金持ちは少しでいいから余ってるお金を困っている人たちに役立てなされ 冥途まで、お金は持って行けないのだから
一休さんは、正月にドクロをぶら下げて、お金持ちにこう説いて周ったという話だ。大金持ちは、この一休さんの教えを守って、貧しい人々を助けたという。
できる範囲で成すべきことをする
年男も何度か繰り返し、人生も折り返しになると、お金儲けに別の価値を見出そうとする。勿論、生活するために稼ぎは必要だし、お金の面で苦労はしたくない。でも、それだけじゃなくなる。
極楽や地獄が存在するかは一遍死んでみなけりゃわからないが、あるとするなら死んでまで地獄を味わいたくはない。
だからって訳じゃないけど、できる範囲でできる限りのことをしたい。今年は戌年。駆け回って、駆けずり回って、誰かのためにできることを遣る。
果たしてあと何回、門松を数えられるだろう。
ドクロを担いで
というお話でした。
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ゲツコーギルド合同会社 CEO兼プロデューサー
2016年に東京下町から瀬戸内の離島に移住。クリエイターの働き方や人財育成、再生、地域でのクリエイティブやICTを活用したブランディングや地域創生、事業再生を得意としたプロデュースやディレクションで活躍中。メガネ&広島弁や伊予弁など方言女子が大好物。個人的には懐古的なモノがスキ。ネガティブ属性だがユーモアを忘れない。1970年 江戸下町産。