女か虎か
The Lady, or the Tiger?
これまでの人生を振り返るといつも選択の連続だった。例えば進路、例えば恋愛、例えば就職や働き方。どれを選んだとしても結局それが正しい選択だったかどうかは判りようがない。今回はそんな答えの出ないモヤっとすることを綴った。選択と決断というお話。
1884年、アメリカの作家 F・R・ストックトン(Frank Richard Stockton 1834 – 1902)の短編小説『 女か虎か 』。読者に問い掛け、その答えを読者にゆだねて答え合わせはナシという、なんともモヤモヤする類の物語。
内容は概ねこんな感じ。
ある身分の低い若者が王女と恋をした。
参考:『虎か女か』F・R・ストックトン 著
それが気に入らない国王が独自の処刑方法で若者を罰することに。
その国では闘技場で公開処刑を行い、聴衆の見世物になっている。
その闘技場で行われる処刑方法はちょっと変わっていて、二つある扉の一方を選ばせるというもの。
一つの扉の向こうには餓えた虎が待ち構え、扉が開けばたちまち虎の餌食に。もう一つの扉の向こうには宮廷で一番の美女が控えており、扉を開けば罪は許されてその美女と結婚することが出来る。
国王の考えを知った王女は、死に物狂いで二つの扉のどちらが虎でどちらが女なのかを探り出すことに成功する。
しかし王女はそこで苦悩することに。
恋人である若者が虎に食われてしまうなどということには耐えられないが、だからといって自分よりもずっと美しい女性が彼の元に寄り添うのもまた耐え難い。
父である国王に似て、半分は誇り高く激しい感情の持ち主の王女は悩んだ末に結論を出し、恋人である若者に一方の扉を指し示した。
物語はここで終わる。ね、モヤっとしたでしょ。
選択と決断の連続
さて、問題は2つある。
1つ目は王女がどちらの扉を教えたかということ。
そして2つ目は、若者は王女が指示した扉を開いたか、或いは…ということ。
答え合わせはできないから、それぞれがどのように考えるかで異なった答えに導かれる。
こういう物語を リドル・ストーリー といって、『 女か虎か 』(The Lady, or the Tiger?)は、そのリドル・ストーリーの代表作品。
どちらが正しいという性格のものでもなければ、どっちかを選んだあなたは○○タイプ!みたいな話でもない。
だからモヤっとするわけだが、いずれにしても考えるときは自分が主人公に置き換わってしまう。
相手との関係性やお互いの性格などで、まず王女が扉の向こうが女を指しているのか虎を指してるのかを考える。
さらに、どちらだったとしても、自分はどちらを選ぶべきなのかを考えなければならない。
命や人生を掛けるほどではないが、こういうシーンは日常的にもあったりする。
選択しなければいけない時や決断しなきゃいけない時。選択と決断はいつも大体セットで、日常はいつも選択と決断の連続。だけどその結果が成功だったか失敗だったかを知る術は与えられない。
例えば時間軸を2つ持っている人が居たとして、片方を女、片方を虎で扉を開けてからその後の人生を過ごしてみて、それを比較することが出来れば、自分にとってどちらが良かったのかは判断できるが、しかし現実はそうはいかない。
選んだ方が成功だと感じれば、こっちを選んでよかったと思い、失敗だと感じれば、もう一方を選んでおけばよかったと後悔する。なぜそっちを選んだのか、もっともらしい理由を付けて納得させることしかできないし、失敗したとは思いたくないから、選んだ方を正当化するのが関の山。
それに虎だからって必ずしも失敗とは限らない。運よく虎を退治し、その強さを国王に認められ、後継ぎとして王女の婿になれるかもしれない。女の方を選んでいたら王女と一緒になることは叶わないが、その女との生活がバラ色で素晴らしいものかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
つまり、どちらにもその先の可能性は残されていて、選ぶ段階ではどちらを選んでも50/50(フィフティ・フィフティ)、その後どうなるかは自身の心がけ次第でプラスにもマイナスにも変えていけるのかも知れない。
だとしたら、選択とは、どちらか一方を「選ぶ」作業ではなく、どちらか一方を「切り捨てる」作業ではないのかと思うわけです。
選んだんじゃなく捨てたんだ
今まで積極的に一方を選んできたつもりでも、実は目に見えてリスクやネガティブ要素があったから、一方を切り捨ててこられただけかもしれない。
リスクがあるからチャンスもあるという考え方もある。
或いは、目に見える脅威がどちらにも確認できなければ、人の意見に左右されて選んだことだってあると思う。
でもでも、それは自分で選んだということになるだろうか?
いずれにしても、その結果は自身に返ってくる。
成功だろうと失敗だろうと、くだした決断から逃れられはしない。
どんどんモヤモヤっとしてきただろう。
これまでみなさんは、どちらかの扉を開けて突き進んできた。
時には諦めたこともあったろうし、第3の扉を探したりもしただろう。
或いは、みなさんがどちらか一方の扉を指し示し、それによって誰かの人生を変えたかもしれない。
この答えのない堂々巡りはこの先も続く。
不毛と思うだろうか。
これまでの選択や決断が成功だったとしても失敗だったとしても、みなさんが下したその選択や決断は尊いし、正しかったと思いたい。何故なら今あるのは、その経験があったからこそ…そう思うわけです。
最期に、この答えのない物語に僕なりにエンディングを付けるとすれば、僕は王女の示した方とは逆の扉を迷わず開く。
僕は天邪鬼だから、それを知っていれば逆を指すだろう。
王女がその扉の先にあるものについて考えに考えた末の決断を下したのだから、それは尊く気高いその選択と決断と逆を指し示したユーモアを信じたい。
僕にとっては虎でも女でもどっちでもいいのだ。
虎だった場合はどうやって生き残るかだけを考えればいい。
果たして、どちらを選び、何が出てくるだろうか。
みなさんも暇つぶしにでも考えてみて欲しい。
女か虎か
というお話でした。
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