目には目を ~ 過去の自分を失う前に

目には目を ~ 過去の自分を失う前に

目には目を

An eye for an eye

新年あけましておめでとうございます。本年も勝手に綴って参りますが引き続きお付き合い下されば幸いです。さて、今年一発目はちょっと物騒と思うかもしれませんが、復讐というお話。

裏切られたり約束を一方的に反故にされると多かれ少なかれブラックな心境に陥りますよね。人間ができてない僕などは復讐や仕返しをしてやりたくなる気持ちはよ~くわかります。
例えばイベントの幹事や主宰したことがある方は、ドタキャンされてイラッとした経験、無いでしょうか。人数で場所抑えてるのにドタキャンされると、その分の会費は幹事が負担する羽目になっちゃいますよね。
えぇ~えぇ~どうせ小っちゃい奴ですよ、えぇ。

旧約聖書・エジプト記・21章に、

Eye for eye, tooth for tooth, hand for hand, foot for foot.

書かれている通り、昔からこういった考え方や思いはあったんですね。新約聖書では「左の頬をぶたれたら、右も差し出せ」と復讐を戒める方向に修正されていますけど、僕は前者の方が気持ちとしてはスッキリ受け入れられるし、やられたらやり返す倍返しだ!とか、喧嘩上等とかとか、無礼者には鉄槌を下す思考のタイプです。えぇ~どうせ小っちゃい奴です。

しかし先日、TVドラマの『相棒』で、ある冤罪のストーリーを見ていて少し考えさせられました。偽証された目撃証言を警察が検証もロクにせずに採用し、3年の実刑判決を受けた男の話で、刑務所から出所後、偽証した目撃者と揉み合って殺害してしまい、刑務所で一緒だった仲間に偽証をさせて、新たな冤罪をでっち上げようとしたのです。

勿論、杉下右京がこれを見破るわけですが、逮捕するときにこんなことを言うのです。

不当な扱いを受けても不当な方法で復讐してはならない。なぜなら過去の正当性を自ら無にする行為だからです。

確かに過去の過ちを正すために誤った方法で「目には目を」を実行してしまったら、自分の正当性をも打ち消してしまいます。憎しみや恨み、つらみで復讐することが、自分にとってどれくらいマイナスになるか、その後、自分にどう影響してくるのかを一旦落ち着いて考えるべきだと思いました。ドラマと違ってこちらはノンフィクションですから取り返しがつきませんからね。

ドタキャンした奴は二度と呼ばない、付き合わない、SNSでブロックやメルアド削除くらいでいいんじゃないかな。

えぇえぇ、どうせ小さ(ry

目には目を

というお話でした。

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