キツネとブドウ
Fox and grapes
何かに失敗しちゃったときに恥ずかしかったり格好が悪かったり、バツが悪かったりして、周りに対しては強がって見せ、自分に対しては言い訳をする。こういう作業って意識的にせよ無意識にせよ、みんなやることでしょう。今回は 負け惜しみ というお話。
イソップ寓話で、これを象徴するような話があります。『 キツネと葡萄 』という話で、あらすじはこうだ。
お腹を空かせたキツネが森の中を歩いていると、おいしそうな葡萄がたくさんぶら下がっているのをみつける。
キツネは何度も跳び上がって葡萄を獲ろうとするが、何度跳んでも葡萄には届かずに、怒りと悔しさで
「どうせこんな葡萄は、すっぱくてマズいに決まってる。誰が食べてやるものか!」
と捨て台詞を吐いて獲るのを諦め、その場を去っていく。
イソップ寓話『 キツネと葡萄 』 より
そういう話だが、キツネの心情がよく判る。こういうのって日常的によくあることで、かの有名な精神分析学者で精神科医の ジークムント・フロイト(独:Sigmund Freud、1856年5月6日 – 1939年9月23日) は、このイソップ寓話を引用し『 すっぱいブドウ理論 』を提唱している。
人は手に入れたくてたまらないのに、人・物・地位・階級などの努力しても手が届かない対象がある場合や目的や欲求が達成されなかったとき、その欲求と現実のギャップを埋めるために、自分に都合のいい理屈で埋め合わせしようとする
これが『すっぱいブドウ理論』。つまり平たく言えば負け惜しみ。この負け惜しみは「防御機制・合理化」という心理学的な意味があって、「防御機制」とは、欲求不満などによって社会に適応が出来ない状態に陥った時に行われる自我の再適応メカニズムを指す言葉で防衛本能の一種。
自分しか自分を守れない
では何から防衛するのか。このキツネの話、不思議とネガティブさは感じられない。「酸っぱくてマズかったから、かえって食べなくて正解だったんだよ」そう言い聞かせて次の目標に向かって歩き出したように感じる。切り替えて次に進むための手順のだったに違いない。
しかし、このキツネが怒りと悔しさに執着し、いつまでも自分を責め続けていたらどうだろう。先には進めず、諦めることもできず、ただただその場に留まって自分の行動を責め続ける。
そのキツネはもしかすると自分自身かもしれない。置き換えて考えた時、思い当たることは無いか。このまま自分自身を責め続けたらメンタルがやられてしまう。もう既にそうなりかけてる人が居るかもしれない。
負け惜しみを言うことが防衛というのであれば、こういう事からの防衛だと言える。あまり自分で自分をイジメ続けちゃいけませんよね。自分しか自分を守ってあげられないのだから。せめて自分だけは自分を信じて先に進もう。
ちなみに…
ちなみに、英語で負け惜しみの事を Sour grapes (すっぱいブドウ)と言うソーダ。
すっぱいブドウ
というお話でした。
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