デッドマン・ウォーキング
Dead man walking eyewitness against execution
刑務所の廊下に響き渡る号令——「デッドマン・ウォーキング(死刑囚が通るぞ)」。死に向かって歩く男の傍らに寄り添ったのが、シスター・ヘレン・プレジャンです。彼女が向き合ったのは、凶悪な殺人犯の「罪」ではなく、その奥に隠された「魂」でした。今回は 目撃し続けた修道女 というお話。
一通の手紙
1981年、ルイジアナ州ニューオリンズ。カトリックの修道女シスター・ヘレン・プレジャンは、貧しい黒人地区で社会活動をしながら暮らしていました。ある日、知人から一枚の依頼状を受け取りました。「死刑囚のペンパル(文通相手)になってほしい」という、ただそれだけの頼みでした。
彼女が文通を始めた相手は、パトリック・ソニエです。10代のカップルを殺害した罪で収監され、電気椅子による死刑を宣告された男でした。やがてシスター・ヘレン・プレジャンは面会に通うようになりました。そしてソニエから「死刑執行まで霊的同伴者になってほしい」と頼まれます。彼女はこれを引き受けました。
シスター・ヘレン・プレジャンが立たされた場所
はじめのうち、プレジャンは死刑制度を抽象的に捉えていました。死刑廃止論者ではありましたが、自覚はまだ薄かったのです。ところが、ソニエと面会を重ねるうちに、彼女の中で何かが変わっていきました。
凶悪犯の霊的同伴者として処刑に立ち会う一方で、彼女は被害者の遺族とも向き合わなければなりませんでした。殺されたティーンエイジャーの家族たちは怒り、悲嘆しました。また、「なぜ殺した男の側に立つのか」とプレジャンを非難しました。その言葉に、彼女は返す言葉を持てませんでした。
加害者と被害者、どちらの痛みも本物でした。そのためプレジャンは、その両方の間に立ち続けることを選びました。逃げることも、割り切ることもしませんでした。
1984年、パトリック・ソニエは電気椅子で処刑されました。プレジャンはその瞬間、部屋の中にいました。目が合ったソニエに「神はあなたを愛している」と声をかけ、彼が息絶えるまで視線を外さなかったといいます。
ちなみに…
ちなみに、シスター・ヘレン・プレジャンはその後も複数の死刑囚の霊的同伴者として処刑に立ち会い続けました。1993年には著書『Dead Man Walking』を出版しました。全米でベストセラーとなり、1995年にはティム・ロビンス監督、スーザン・サランドンとショーン・ペン主演で映画化もされています。
さらに、プレジャンはバチカンに赴き、ローマ法王に直談判してカトリック教会の死刑反対姿勢の形成にも貢献したとされています。廃止論者でありながら処刑の場に立ち続けた。それは矛盾ではなく、「現場を知らなければ証言できない」という信念の表れだったのかもしれません。
廃止論者でありながら、処刑の場に立ち続けました。それは矛盾ではなく、彼女にとって「現場を知らなければ証言できない」という信念の表れだったのかもしれません。
デッドマン・ウォーキング
というお話でした。
死刑の現場に関わり続けながら廃止を訴えた人物は、彼女だけではありません。18世紀に3,000人の処刑を執行しながら廃止を嘆願し続けた「死刑廃止論者の執行人・サンソン」、そして15年間、95人の死に立ち会い肯定から廃止へと転向した牧師「キャロル・ピケット」の話も、合わせて読んでみてください。
~ 本文で参考にした書籍をご紹介 ~
(参考・出典)

ゲツコーギルド合同会社 CEO兼クリエイティブ・コンサルタント
約30年ほど前、インターネットの黎明期から企画・マーケティング、システムやネットワーク開発など、文字通りWEB業界を創ってきました。徐々に大規模プロジェクトが増えたことに伴い、プロデュースやディレクション、コンサルティング、マネジメントを求められるようになり、東日本大震災をきっかけに、フリーランスの地位向上と働き方の創出のために制作ギルドを創立。配信やセミナーなど育成や再生も開始し、デザイナーやコーダーはもちろん、ディレクターやプロデューサーも数多く輩出しています。