死刑廃止論者の執行人

死刑廃止論者の執行人 ~ ギロチンの露に消えた慈悲

死刑廃止論者の執行人

Sanson the Executioner

彼は誰よりも死刑を憎んでいた。18世紀フランス。代々「死刑執行人」という忌まわしき家業を背負わされた男、シャルル=アンリ・サンソン。彼は熱心なカトリック信者であり、死刑制度そのものの廃止を訴え続けた男です。しかし、皮肉にも歴史は彼を「フランス革命」という狂乱の渦の中心に据え、国王ルイ16世の首を刎ねる役割を与えました。今回は 静かなる絶望 について。

死神か、聖人か

シャルル=アンリ・サンソン(仏:Charles-Henri Sanson,1739〜1806)は、パリの死刑執行を世襲で担う一族の四代目当主でした。彼らは社会から忌み嫌われ、街を歩けば避けられ、独自のコミュニティで生きるしかありませんでした。

ルイ16世、マリー・アントワネット、ロベスピエール——フランス革命を彩った名だたる人物たちの首を、ギロチンで刎ね続けた男である。生涯で3000人以上の処刑を執行したとされ、世界史上でも二番目に多くの死刑を手がけた執行人として記録に残っています。

ところがこの男、根っからの「死刑廃止論者」でした。何度も政府に廃止の嘆願書を提出しながらも、その都度退けられ、皮肉にも処刑の数だけが積み上がっていきました。手記にはこう書き残しています。「死刑制度が廃止になることが、この職から自分が解放される唯一の方法だ」と。

ギロチンを作ったのは誰

サンソンが死刑廃止論者だった根拠は、行動にも表れています。当時の処刑は身分によって方法が違いました。貴族は斬首、庶民は絞首。さらに罪状によっては、四肢を馬で引き裂く「車裂き」のような残虐な刑が公開処刑として行われ、それが民衆の娯楽でもありました。

そのことにサンソンは耐えられず、「せめて誰に対しても、平等に苦痛のない死を」という信念のもと、医師ギヨタンとともにギロチン(断頭台)の開発に積極的に協力することになります。斜めの刃を提案したのはルイ16世自身だったともいわれます。

しかし完成したギロチンは、恐怖政治(テロール)の時代に大量処刑の道具となり、サンソンが望んだ「人道的な処刑」からは程遠い使われ方をしました。自分が作った道具が、自分の信念を裏切る形で世界に解き放たれたのです。

国王の首を、抱えた男

サンソンは、それまでの野蛮な処刑に反対して、一瞬で命を奪う「ギロチン」の導入を支持しました。それは「死刑を肯定するため」ではなく、「せめて苦痛なく逝かせるため」の、彼なりの究極の慈悲でした。

サンソンが最も苦しんだのは、敬愛するルイ16世の処刑でした。敬虔なカトリック教徒であり、熱烈な王党派でもあった彼にとって、国王は信仰の守護者そのものでした。フランス革命当時、国王のためにミサを捧げることは死刑に値する重罪だったにもかかわらず、サンソンは神父を匿い、秘密裏にミサを上げ続けたといいます。

1793年1月21日、サンソンはルイ16世の処刑を執行しました。斬首後、慣習に従い首を民衆に掲げ、生涯、そのことを悔いたと伝えられています。

信念に反する仕事を断れなかったのか。「死刑執行人」は世襲制の国家職であり、サンソンに拒否権はありませんでした。逃げ場のない役割の中で、彼にできたのは「せめて人道的に」という矜持を守り続けることだけだったのです。

ちなみに…

ちなみに、サンソンは生涯で3,000人近くを処刑しましたが、彼は常に「死刑制度の廃止」を願い、処刑される人々を悼み続けました。 彼にとって、完璧に刃を落とすことは、最大の「不本意な貢献」だったのかもしれません。

どれほど残酷な依頼(プロジェクト)であっても、引き受けた以上はプロとして完遂しなければならない。 その矛盾に引き裂かれながら、それでも「一筋の慈悲」をシステムに忍び込ませようとしたサンソンの姿は、現代の葛藤するクリエイターにとって、他人事とは思えないはずです。

死刑廃止論者の執行人

というお話でした。

~ 本文で参考にした書籍をご紹介 ~

(参考・出典)