キャロル・ピケット牧師

キャロル・ピケット牧師 ~ 足首を握り続けた男

足首を握り続けた男

The Man who held their ankles

死刑執行の瞬間、冷たい金属台に縛り付けられた囚人の傍らで、一人の男がその足首を握りしめていた。テキサス州の刑務所で教誨師(きょうかいし)を務めたキャロル・ピケットは、95回もの「死」に立ち会いました。その指先で命が消える振動を、じかに感じてきた男です。今回は 正義の書き換え というお話。

「壁の中」の牧師

テキサス州ハンツビル。アメリカで最も死刑執行数が多いことで知られる街です。その街に、15年間通い続けた一人の牧師がいました。キャロル・ピケット牧師という名の男です。自分の信念に反する現場に、居続けることを選んだ人物でした。

ハンツビルの州立刑務所「ザ・ウォールズ」と関わりを持ったのは、1974年のことでした。刑務所内で発生した人質立てこもり事件で、彼の教会の信徒2人が命を落としました。その後、所長に請われる形で刑務所付きの牧師(チャプレン)に就任することになります。

1980年代、テキサス州で死刑執行が再開されました。すると、キャロル・ピケット牧師には新たな役割が与えられました。死刑囚が執行室へ向かうまでの数時間を共に過ごし、最期の瞬間に立ち会うことです。つまり、死刑囚の「最後の同伴者」として、処刑の瞬間まで共にいることでした。

彼らは凶悪犯として世間から断罪された者たちでした。中には知的障害を抱えた者も、冤罪の疑いが拭えない者もいました。しかしキャロル・ピケット牧師は、その全員に対して、ただ「一人の人間」として向き合い続けました。

手を握れない代わりに

死刑執行の規則に「手を握ってはならない」というものがありました。

そこでキャロル・ピケット牧師は考えました。そして薬物が投与される台に横たわる死刑囚の足首を握り続けることにしたのです。それは、死刑囚たちがこの世で感じる「最後の人間的な接触」でした。「誰も一人で逝かせない」という、ただそれだけの理由で、15年間、95人分積み重なっていきました。

ピケット牧師は考えた末に、薬物が投与される台に横たわる死刑囚の足首を握り続けることにしました。それは、死刑囚たちがこの世で感じる「最後の人間的な接触」でした。「誰も一人で逝かせない」という、ただそれだけの理由で、15年間、95人分積み重なっていきました。

執行のたびに彼は聖書を読み、最後の電話をかける手助けをしました。また、家族への伝言を預かり、処刑後は遺体と共に残り、引き取り手のない者には自ら祈りを捧げました。

やがてキャロル・ピケット牧師の内側で、確信が育っていきました。死刑は犯罪を抑止しない。テキサスで処刑の数が増えるほど、殺人件数も増えていった。つまり、目の前で繰り返される「国家による死」は、正義ではなくもう一つの暴力に見えてきたのです。

1995年、テキサス州で初めて一日に二人の死刑が執行されました。その日、キャロル・ピケット牧師は「もうこれ以上続けられない」と確信しました。そして15年間務めたチャプレンの職を辞しました。

退職後、キャロル・ピケット牧師は死刑廃止論者として声を上げ始めました。講演を行い、著書『Within These Walls』を著しました。また、自らの経験を証言として世に問い続けました。信念は最初からありました。ただ確信に変わるまでに、95人分の時間が必要だったのです。

ちなみに…

ちなみに、キャロル・ピケット牧師は毎回執行後に、その日の出来事や感情をカセットテープに吹き込み、自宅のクローゼットに隠していました。そこには、最初は「当然の報いだ」と考えていた彼が、次第にシステムの不条理に引き裂かれていく過程が記録されています。

「正義」というマントを羽織っていても、一皮剥けばそこにあるのは震える一人の人間でしかない。95回の反復は、代わりに「言葉にならない痛み」を残しました。したがって、誰よりも職務を完遂し続けた者が、自らの価値観を融かされ、正義感の矛盾が覚醒していくのです。

足首を握り続けた男

というお話でした。

「現場に居続けた者だけが知る矛盾」という意味では、18世紀に3,000人の首を刎ねながら廃止を訴え続けた「死刑廃止論者の執行人・サンソン」、そして廃止論者として処刑の瞬間まで死刑囚に寄り添い続けた「シスター・ヘレン・プレジャン」の話も、合わせて読んでみてください。

~ 本文で参考にした書籍をご紹介 ~

(参考・出典)