自己ハンディキャップ
Self handicapping
全然連絡できないことを仕事のせいにして、だんだん距離ができて恋人と別れたっていう恋愛経験ありませんか。こういう事になるってある程度予測できたから、ショックを和らげるために前もって言い訳しとくみたいなこと、ありますよね。予防線というお話。
他にもありますよ、予防線。「全然試験勉強できなかった~」とか言って試験結果が良くなかったときの予防線とか、プレゼンの失敗に備えて「忙しくて企画が練り切れてないんだよね~」なんて言い訳の予防線などなど。
この行為を 自己ハンディキャップ といいます。
事前にする言い訳にはどんな意味があるのでしょうか。こういった予防線を張っておくメリットには2つあると思います。
一つは失敗したとき。この失敗は試験勉強や企画立案に何らかの理由で集中できなかったり、十分な時間が取れなかったんだから仕方ないという詭弁によって、事前に心構えをすることで失敗したショックを少しでも和らげる効果。
もう一つは成功したとき。全然準備できてなかったのに自分凄い!って思えたり、周りの人も凄い!と誉めてくれるので、自分が思った以上の喜びを意図的に生み出して感激を増大させる効果。
どちらに転んでも自分にとって都合がいい理屈なのですが、これは 自己奉仕バイアス と呼ばれるものの一種です。
曖昧な情報を都合の良いように解釈し、失敗を制御不能な状況的要因に帰属させ、成功を当人の内面的または個人的要因に帰属させること
つまり自己奉仕バイアスとは、失敗に対しては外的要因によるものだから自分のせいではないと主張し、成功に対しては内的要因によるものだから自分の手柄とするといった一般的傾向を表しています。
成功すれば自分のお陰、失敗すれば他人の責任
失敗をしても責任を取らないのは、自分の責任じゃなくて周りの責任なんだからね。っていう理屈、よく記者会見で目にしますね。東電、全柔連、プロ野球機構・・・いい大人が自尊心を守るためのバイアスが掛かったということでしょう。こういう人は得てして成功したことに対しては声高に叫ぶ傾向にあるという事ですよね、裏を返せば。
さて、話を元に戻しますが、こういった予防線を張っておく行為について、僕は少し懸念があります。いえ、僕自身もお世話になってるし?人間の本質なんですから避難したり嫌悪したりという事ではなく、それでいいのかなぁ?という問い掛けです。
自己ハンディキャップを意識的に使うにせよ無意識で使ってるにせよ、使うシーンを考えると失敗に対する予防線だと思いませんか。物事をネガティブに捉え、先回りして受けるショックやダメージを最小限に留めようとする。
心情的にはよくわかります。予防線を張ったことによる安心感もあると思うし、それは否定はしません。でもクリエイターがこの業界で仕事する上でホントにそれでいいのでしょうか?
失敗に対する予防線は要するに自信の無さの表れや、のちに起こり得るトラブルを回避するための言い訳。自信がないから恋人と対峙できなかったり、試験前に合格ラインに届かない想像が膨らむ。あるいはトラブルが起こった場合にその懸念を事前に伝えたという既成事実。言い訳するときってみんなそうですよね。
でもクリエイターは自信をもってクライアントに作品を送り出さなきゃいけないし、そのアウトプットはある程度予測した効果が出ないとマズいですよね。
何より予防線を張りすぎるとめんどくさい奴と思われて失注する恐れすらあります。
それに毎回、言い訳を用意してるとクライアントも不安になるので、お願いするのも微妙な感じになります。恋愛と同様に変な溝ができてしまい、自然消滅か別れを切り出されるか。いずれにせよ良い結果はもたらしません。
例えそれが虚勢でも、ホントは不安でいっぱいだとしても、クライアントとしては自信をもって創ったものを受け取りたい。
クリエイターは何より好評価が欲しいと願ってるわけですから、ダメだった時の言い訳を考えるより、どう工夫して自信の無さを隠す演出ができるかを考える方が、制作そのものも楽しくできるし、遣り甲斐も感じられるし、その後の自信や達成感にもつながると思うんです。
予防線を張りすぎるのってちょっとカッコ悪いしね。
自己ハンディキャップ
というお話でした。
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ゲツコーギルド合同会社 CEO兼プロデューサー
2016年に東京下町から瀬戸内の離島に移住。クリエイターの働き方や人財育成、再生、地域でのクリエイティブやICTを活用したブランディングや地域創生、事業再生を得意としたプロデュースやディレクションで活躍中。メガネ&広島弁や伊予弁など方言女子が大好物。個人的には懐古的なモノがスキ。ネガティブ属性だがユーモアを忘れない。1970年 江戸下町産。