世界を救った男 ~ 独断と直感

世界を救った男 ~ 独断と直感

世界を救った男

The Man Who Saved the World

現代社会はコンピュータと人間との融合によって成り立ってる。ルーティーン作業やデータ解析などはコンピュータの得意分野だ。でもその一方でコンピュータに不具合があった時、相当な混乱を招く危うさもある。今回は独断と直感というお話。

僕たちは生活や仕事の一部として毎日コンピュータと向き合っている。機械ですから故障や不具合が起こることも理解してる。それなりにメンテナンスもしていて、安心して、信頼して日々コンピュータと向き合っています。

みなさんは米ソ冷戦時代、何もしなかったことで世界を核戦争から救ったソ連軍将校が居たことをご存知でしょうか。 スタニスラフ・イェフグラフォヴィッチ・ペトロフ(露:Станислав Евграфович Петров, 1939年9月9日 – 2017年5月19日)中佐。ペトロフ中佐の担当任務は核攻撃を人工衛星でいち早く察知するための監視、上官への報告でした。折しもソ連軍は僅か3週間前にソ連領空を侵犯した大韓航空機を撃墜し、乗員乗客269名全員が死亡するという事件が起きていました。この事件で乗客の多数がアメリカ人だったため、両国が緊張状態にある最中の任務でした。

1983年9月26日0時40分、コンピュータは米国からソ連に向けて飛来する一発のミサイルを識別しました。通常の手順であればコンピュータシステムが識別した情報、つまり米国の核ミサイル攻撃の可能性を上官に報告するべきところですが、ペトロフ中佐はそうはしませんでした。独断で報告せずにやり過ごしたのです。なぜでしょう。

もし米国軍が核攻撃を仕掛けるとすれば、ソ連を壊滅させるためにもっと多くの核ミサイルで攻撃してくるに違いない。先制攻撃でたった数発の核ミサイルを撃ち込んでくることなど通常は考えにくい。だとしたらコンピュータシステムの誤動作によるものだ。

ペトロフ中佐はこう考えたため、何もしなかったのです。人工衛星システムは以前にも誤警報を発令していて、ペトロフ中佐はその信頼性を疑問視していました。しかし米国軍がミサイルを発射していないという根拠はこれだけです。レーダー監視では、地平線の向こう側から発射されても感知できず、気付いたときには数分後には着弾してしまう危険がある中で、ペトロフ中佐はコンピュータのエラーだと判断したわけです。

ペトロフ中佐が上官に報告したかしなかったかは諸説あるようですが、軍人としては逸脱した行動だと、この後糾弾されてペトロフ中佐は軍をあとにすることになります。
ここに葛藤が生まれます。究極の選択と言っていいかもしれません。
もしペトロフ中佐が誤って本物の攻撃を誤報と勘違いしていたとしたら、ソ連は何発かの核ミサイルに直撃されていたでしょう。
もしペトロフ中佐が米国軍のミサイルが飛来中だと通報していたら、上層部は米国に対して破滅的な攻撃を発動し、それに反応した米国軍からの報復核攻撃を招いていたかも知れません。第三次世界大戦が実際に起きていたかもしれないのです。

ペトロフ中佐は自身の直観を信じ、システムの表示は誤警報であると宣言しました。その直観は後に正しかったことが証明されますが、一瞬の判断だったに違いありません。

僕たちは日頃コンピュータを疑うことなく、はじき出した結果を信頼して業務にあたっています。いちいち、それを疑っていたら仕事にならないということもありますが、一方でコンピュータがミスする確率と人間がミスする確率を天秤にかければ、或いは作業効率や処理能力を考えれば概ね信頼できます。

コンピュータは道具に過ぎません。快適に暮らしたり、仕事を楽にしてくれるツールです。でもそのツールを創るのも使うのも僕たちで、過信すると痛い目を見ることもあります。
メンテナンスやバックアップは使う側の人間が行い、操作するのも人間だということを忘れてしまうと、時に残酷な結果が待っていることだってあります。例えば身近でよくあるのが、作業データーのバックアップを怠けていたら、PCがシャットダウンしてデータが水の泡と消えるとか。

要するにペトロフ中佐は、ツールとしてのコンピュータとの付き合い方を教えてくれたんだと思うんです。コンピュータが遣ってくれるから考えなくても判断しなくてもいいということにはならない。
現在だって最終的な判断を下すのは僕たち人間です。

ペトロフ中佐は、これまでに聞いていた情報や現状を踏まえた経験則で誤警報だと判断しました。
軍の規律を破ったり、直感に頼らざるを得なかったことについては、また別の問題としてありますが、いずれにしても、たまたまだったにせよ結果として正しかったし、核を浴びずに済んだことは称賛に値します。

退役したのちにペトロフ元中佐の功績は、米国で二度も特別世界市民賞として表彰され、ドイツでも国際ドレスデン賞として表彰されました。

僕らは世界の平和を左右するような任務ではありませんが、36年前の9月に起こったこの事件を目にしてコンピュータとの関わり方を改めて考えてみたいなぁと思ったわけです。

世界を救った男

というお話でした。