食肉加工と自動車製造
Meat processing and car production
業界雑誌の記事みたいなタイトルになっちゃいましたけど、意外なところからヒントを得て、その後の自動車産業に多大なる功績を残したというアイデアマンの話をしようと思います。まさに瓢箪から駒。今回はひらめきというお話。
1912年 アメリカのシカゴ。当時シカゴはアメリカの食肉加工業の中心地でした。
ウイリアム・クランは、自動車の組み立て工場でエンジン部門を任されていて、作業員から責任者になった叩き上げでした。常に新たな発想を求めていたクランは、ある日、食肉加工工場の話を耳にし、画期的なシステムが導入されたと聞きつけると直感が働き、早速工場見学に行くことにしました。
解体ラインと呼ばれるそのシステムは、牛や豚など吊るされた家畜をかつてない処理の速さで、各パーツごとに切り離していく工程を目の当たりにしました。そして、それを見たクランはひらめきました。
家畜をライン上に並べて解体できるなら、その逆も可能なはずだ。
つまり移動させながら自動車を組み立てることができるんじゃないか。
何より彼が注目したのは作業を分担し、より専門的に作業をすることで各作業員の技術が向上する点でした。
この点は僕も激しく同意します。ユーザーやクライアントのニーズが多様化し、それに応えるためには日進月歩の様々な技術や情報を集めて使いこなせるようにならなきゃいけません。
広く浅くのクリエイターより、専門的に知識や技術を掘り下げて身につけたクリエイターが必要なのです。
Qrious が完全分業制を採用しているのはそのためで、デザインはデザイナーが集中して行い、コーディングはマークアップあるいはフロントエンドエンジニアがそれぞれ担当し、客先対応や進行管理、品質管理をディレクターまたはプロデューサーが行うことで、それぞれの専門性やスキルが向上させることが目的で、各分野のプロフェッショナルを育成することが可能になります。
業界を変えたひらめきとアイデア
クランは早速、自分が思いついたアイデアを社長に提案します。その提案を社長が導入したことによって、自動車が多くの庶民の手に届くものになりました。
もし彼のひらめきがなければ、机に向かって「なんかいいアイデアないかなぁ」と鉛筆を噛みながらグータラしていて、自動車の量産化も現在のような自動車業界の発展はもっともっと遅れていたに違いありません。
新たなアイデアを貪欲に求め、アンテナを張り巡らせ、気になった事例を目と耳と足を使ってしっかりと調べ、考察した結果、発想の転換ができたのではないかと思うのです。待っていたのでは何も始まりませんし、何も変えられなかったでしょう。
さらにラインの各セクションを分業化して、専門的にそのセクションを任せ、技術の向上を目指したことで、スタッフのスキル向上や全体的なレベルの底上げ、新たな雇用創出に繋がったことは、100年経った現在も基本的にはそのスタイルが変わっていないことを考えると、凄い功績だったことが容易に想像できます。
ちなみにクランが提案して、それを受け入れた社長は ヘンリー・フォード 氏。そう、フォード社の創設者です。フォード車の発展の陰にウイリアム・クランというアイデアマンが居たのですね。
食肉加工場でひらめいて、画期的なアイデアを生み出したウイリアム・クランと、巨額な投資をしてラインを創り上げ、クランのアイデアを導入し、自動車を大衆の乗り物にまで引き下げてくれたヘンリー・フォード氏に脱帽ですね。
食肉加工と自動車製造
というお話でした。
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ゲツコーギルド合同会社 CEO兼プロデューサー
2016年に東京下町から瀬戸内の離島に移住。クリエイターの働き方や人財育成、再生、地域でのクリエイティブやICTを活用したブランディングや地域創生、事業再生を得意としたプロデュースやディレクションで活躍中。メガネ&広島弁や伊予弁など方言女子が大好物。個人的には懐古的なモノがスキ。ネガティブ属性だがユーモアを忘れない。1970年 江戸下町産。