女性初のロードトリップ
First female road trip
世界初の女性による自動車の長時間走行テスト、いわゆるロードトリップは、ある自動車発明家の奥さんによって実現されました。時には無謀とも思える行動も必要かもと思わせるエピソード。今回は宣伝活動、PR(public relations)についてのお話。
1888年 ドイツのマンハイム。15歳の時に自動車をつくると心に決めたエンジニアが居ました。彼の名はカール。カールにはベルタと言う妻がいます。ベルタはカールの才能を高く評価していて、カールには頭に描いた構想を実現するよう、いつも励まし、ベルタ自身の資産もカールに投じていました。
ベルタはリスクを恐れず猪突猛進するタイプで、新しいことが好きだったのでしょう。
そしてカールはベルタの支援に支えられて、ついに単気筒のガソリンエンジンを搭載、ギアは1速のみの自動車を完成させました。
しかし当時の皇帝は大の馬好きで「馬の代わりに機械を使うなど愚かなうえに愛国心に欠ける」と非難しました。さらに保守的で多大な影響力を持つ教会も「悪魔の乗り物」と批判しました。これを聞いたカールは、発明品を公開する意欲が亡くなり、閉じこもってしまう日々を送ることになります。
新しいものに拒否反応を起こす保守的な人は、いつの時代も一定数いるものですね。カールが拗ねてしまうのも、わかる気がします。しかしベルタは違いました。意気消沈してるカールをよそに、カールには内緒で100kmの長旅に出ることを決意、試作用自動車で出て行ってしまいました。舗装されていない道を幌もハンドルもない試作自動車で、マンハイムからベルタの故郷までは相当長い道のりです。
当時の移動手段と言えば徒歩か自転車、馬車でしたが、ベルタには判っていたのです。これからの時代、世界の移動手段の主流は馬ではなく自動車になることを。さらにベルタはこう考えていました。
自動車の有効性を身をもって証明するためには、女性でも操れることともう一つ、長距離を移動する必要がある。
多くの人に見てもらうことも目的の一つでしたが、安心安全で馬の力を借りずに誰でも長距離の移動ができることを証明したかったのだと思います。そしてベルタは目的地の故郷にやってきました。目的地まで要した時間は12時間。旅の成功はあっという間にドイツ中を駆け巡りました。
女性が一人で、夫の力も借りずに新しい乗り物で長旅を成し遂げたのですから宣伝効果は抜群でした。
ベルタのとった行動は、宣伝広告やPRなど、企業広報活動のはしりだったわけです。
カールが発明しベルタがプロモーションをしたこの自動車から、今日まで続くこの自動車メーカーの歴史が始まるわけです。カールとベルタのLast NameはBENZ。カール・ベンツとベルタ・ベンツ。そう、世界有数の自動車メーカーMercedes Benzの始まりの物語です。
この長旅で実はベルタ自身も発明をしています。ブレーキの利きが良くないことに気付いたベルタは道中、靴屋に立ち寄ります。自動車に使用されていたブレーキは滑りやすい木でできていたので、ベルタはその木に皮を巻いてもらいました。ブレーキパッドの誕生です。ベルタ・ベンツはブレーキパッドを偶然にも発明してしまったのです。
カール・ベンツは妻が黙って出て行ってしまった後、どういう気持ちだったでしょう。またベルタ・ベンツが道中、どんな気持ちだったのでしょう。使命感だけでやり遂げたのか、あるいは楽しんで旅行した感じなのか、聞いてみたいものです。いずれにしても、こういう時の度胸は女性の方がありますね。
女性初のロードトリップ
というお話でした。
~ 本文で紹介された書籍をご紹介 ~
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ゲツコーギルド合同会社 CEO兼プロデューサー
2016年に東京下町から瀬戸内の離島に移住。クリエイターの働き方や人財育成、再生、地域でのクリエイティブやICTを活用したブランディングや地域創生、事業再生を得意としたプロデュースやディレクションで活躍中。メガネ&広島弁や伊予弁など方言女子が大好物。個人的には懐古的なモノがスキ。ネガティブ属性だがユーモアを忘れない。1970年 江戸下町産。