ホントの仕事 ~ 勝手な思い込み

ホントの仕事 ~ 勝手な思い込み

ホントの仕事

The real work

指導する立場の人が1つのことを伝えるとします。でも聞いてる側、受け取る側からすると、その捉え方は人それぞれで必ずしも1つとは限りません。時には想定外の捉えられ方をされることも。今回はちょっと笑える十人十色というお話。

インドの寓話にちょっと笑っちゃう勘違いの話があります。同じことを複数の人に伝えようとするとき、こんな誤解が生じるなんて、という話です。

ゴータマ・ブッダの弟子たちは毎晩、夜の講和が終わるとそれぞれの場所に戻って眠りがやってくるまで静かに瞑想するのが習慣です。しかしブッダは講和の後に「さあ、各自の場所に戻って瞑想しなさい」とは言わず、代わりに「語るべきことは語った。さあ行って、あなたのホントの仕事をしなさい」と言うのです。

なるほど、直接的に伝えるのではなく、自発的に考えて行動するように間接的に促してるんですね。やらされてる感があると成長しないということでしょうか。

さて、面白いのはここからです。

ある晩、泥棒と娼婦がブッダの講和を聞きに来ていた。そして泥棒はブッダの言葉に驚いた。「なんてことだ!これだけ多くの人の中に隠れてるのに、この人は私の仕事を知っていて、しかも寝る前にホントの仕事をやりなさい、と指示している」。
泥棒の心にブッダの言葉が強烈な印象となって残った。

娼婦もまた泥棒と同じように驚き、ブッダが彼女に気付いていると同時に、彼女が娼婦でホントの仕事は夜なされることを知っているのが信じられなかった。「この比類なき明晰さと洞察力、この人は驚異だ!」。

翌朝、二人はブッダに逢うため再びやって来た。
「どうしたのかね?」 とブッダがたずねる。
「あなたには何一つ隠せません。盗みは昨夜が最後です。あなたは盗みを辞めろとは言わず、それどころか『行って、あなたのホントの仕事をやりなさい』と言いましたね。そのあと、私は自問しました。私の人生はこのままでいいのかと…そしてあなたは、私を変えてしまったようです」と泥棒が応えた。

娼婦も言った。「私はもうこの仕事を辞めました。あれほど多くの面前で『さあ行って、ホントの仕事をやりなさい』と言われるとは思いもしませんでした。私はもうどこへも行きません。いまや私のホントの仕事はあなたの足元に座ることです」

するとブッダが驚いて言った。
「なんということだ! 『ホントの仕事』とは弟子たちに言ったことで、あなたがたに言った言葉ではないのだよ」
彼らは口を揃えて言った。
「私たちを騙そうとしないでください!」

そんなつもりじゃなかったのに、相手が勝手に誤解して受け止めてることってありますよね。

この後、結局この二人はブッダの弟子になります。以来ブッダはこの出来事をこんな風に話すようになったと言います。

あなたがどう理解するかを知るのは難しい。しかしこれだけは確かだ。あなたが聞くことと私が言っていることは決して同じではないだろう。私は一つのことを話す。そしてそれをどう聞くかはあなた次第だ。それをコントロールすることは私にはできない

一人の指導者が一つの真実を話すとき、そこに10人の人間が居れば10通りの解釈が存在します。ブッダが「ホントの仕事をしなさい」と言うと、それを聞いたブッダの弟子たちは瞑想し、それを聞いた泥棒は盗みに入り、それを聞いた娼婦は客をとりに走ります。

一つの言葉に対して、その言葉を自分が置かれている状況に当てはめて考えるので、一つの真実でも実際には人数分の真実にすり替わってしまうという話です。

例えば、制作現場で「もうちょっと赤を強めに」と10人に指示を出せば、それを聞いて想像する明るさや濃さ、トーンなどは、指示した人の感覚とは微妙に異なったものになるでしょう。
聞き手の考え方が介在するところでは常に「思い込み」と「投影」が真実を歪めることが、この愉快な勘違いで満ち溢れた面白い世界にしてくれます。

ただこの話はポジティブ方向で展開しますが、必ずしもそうとは限りません。指導者の言葉は良くも悪くも周囲の人に影響を与えます。笑える勘違いであればいいのですが、笑えない勘違いになれば修羅場に発展する可能性だってあります。

やはり伝えるべき立場の指導者は、ブッダが言うように伝わり方は人によって違うという認識を忘れてはいけないと思うわけです。聞き手の感じ方までコントロールできないわけですからね。登壇したり発信する機会が多いので恐ろしくもあります。

ところでみなさん「ホントの仕事をしなさい」と言われたら何をしますか?

今の仕事は「ホントの仕事」でしょうか。

ホントの仕事

というお話でした。