鎖に繋がれた象
Elephant chained
他人の生い立ちや経歴なんかを聞いてると、誰でも1つや2つ、黒歴史やトラウマを抱えてたりしますよね。今となっては笑い飛ばせるものもあれば、ガチでちょっとセンシティブなやつまで。今回は自己暗示というお話。
人の生い立ちや経歴を聞くと、誰でも1つや2つ、黒歴史やトラウマを抱えてたりしますよね。ちょっとセンシティブな話をしましょう。
トラウマを抱えたデミアンには心を寄せる女性がいて、自分の気持ちを伝えたいが勇気が出ないとセラピストのホルヘに相談します。そしてホルヘはこんな話を始めます。
子どもの頃サーカスが大好きで、中でも象のショーがお気に入りだった。その大きな象は舞台に上がると、持ち前の凄まじい体重や図体、怪力を見事に披露していたが、演技が終わって次の出番を待つまでの間、大きな象はいつも地面のちっぽけな杭に足を鎖で繋がれていた。
ところがその杭は、地面にいくらも打ち込まれていない、小さな木のかけらだった。確かに鎖は太く頑丈そうだが、大きな象ならばその杭を根こそぎ引き抜く事など訳ないはずなのに、大きな象はそうしようとはしない。
子どもだった私は、周りの大人たちに疑問をぶつけてみると
「象は飼い馴らされているから逃げないんだよ」
と言うので、私は当然、こう質問を返した。
「飼い馴らされてるんだったら、どうして鎖に繋がれてるの?」
しかし、辻褄の合う答えが返って来ることは無く、その答えは大人になってから知ることになる。
たまたま、その疑問に答えられる本当に賢い人に出逢い、この答えを聞いた。 「サーカスの象が逃げないのは、とっても小さい時から同じような杭に繋がれていたからだ」
生まれたばかりのか弱い象が、杭に繋がれているところを思い浮かべた。そのとき象は、押したり、引いたり、汗だくになって逃げようとしたに違いない。でもどうやっても逃げることはできなかった。小さな象にとって、杭はあまりに大きすぎたのだ。疲れきって眠ったことだろう。次の日もまた逃げようと頑張って、次の日も、そのまた次の日も…そして小さな象は自身の無力さを認めて、運命に身を委ねたのだ。
サーカスで見る大きくて力強い象は、可愛そうなことに “できない” と信じ込んでいるから、もう逃げようとはしないのだ。
生まれて間もないときに無力だと感じた、その記憶が頭にこびりついてしまっていて、二度とその記憶について真剣に考え直すことは無いのだ。二度と…二度と…自身の力を試そうとはしなかったのだ。
ホルヘ・ブカイ著 麓愛弓訳『 寓話セラピー 』より
何とも切なく、やりきれない、複雑な思いにさせる話だ。動物園でも象は人気で、いろんな物語でも心優しい動物の象徴的な存在だから、そういうバックグラウンドを知っていると、ちょっと泣けてきます。
この物語はスペイン語圏の大人気の寓話で、ホルヘはこの寓話でセラピーを行う精神病理学のドクター。
そしてこれがリアルな話でニュースにも取り上げられて話題になりました。インドで50年間も鎖につながれ、虐待を受け続けた1頭の象「ラジュ」の話。
ラジュは生まれた直後に捕らえられ、人から人へ30回近く売り飛ばされた。 所有者が変わる度に、飼い慣らそうと鎖に繋がれ、縛りつけられ、叩かれる虐待が繰り返された。
人間に服従するしかなかったラジュは、50年間の殆どを飢えと疲労の生活を送って来たという。
そんな状態からNGOがラジュを救出し、足の鎖が外された時、ラジュは涙を流したとされる動画が話題となっている。
CNN News より
虐待50年、解放されたゾウが「涙」流し話題に
いろんな思いでご覧いただいたことだろう。サーカスの像をまさに時代を超えてリアルに再現したような話だ。
その足枷はだれが嵌めているのか
ひるがえって人間の世界はどうでしょうか。象だけじゃなく僕ら人間も、小さいころのトラウマや挫折を何度も何度も繰り返しているうちに二度とチャレンジする気が失せる気持ちは痛いほどわかります。だからこそ、ラジュが涙を流したことに心を痛めるのでしょう。
クリエイティブな仕事してると、”才能ないなぁ” ”向いてないなぁ” と挫折感や劣等感を味わうことって誰にでもあるんじゃないかと思います。
物事がうまくいかないときに、”そういうもんだよ人生なんて” ”そのうち何とかなるさ” ってのん気になれる人は別のところに活路を見出し、自由気ままに活動して上手く消化できる人もいます。
逆に過去を思い出して自分を責めたり諦めたり、挫折したり、負の感情が生まれて、それを切欠に、”こうじゃなきゃいけない” ”このままじゃダメだ” みたいな過度の抑制や余計な負荷を自ら課してしまう癖がついてるもんだから、空回りしながら後ずさりして、前に進まないことへの怒りや焦りが極限に達するとオーバーフローで強制停止に陥る人も意外と多いかもしれません。
そういう人はそれが足枷になるわけですが、しかしその足枷っていったい誰が嵌めたものなのでしょうか。勤めてる会社や上司?それともクライアント?親や身内や近しい人、友人知人?
或いは…自分自身とか。自分から嵌りにいってるって事はないのでしょうか。つまり自己暗示。
サーカスの象のように足元は鎖と杭で繋がれてるのかもしれませんが、ホントは引き抜く力もあるし、引き抜けることを知っていて自制してるのかもしれません。 自ら暗示をかけて招いてる事態だとしたら哀し過ぎます。
さて、主人公のデミアンにセラピストのホルヘは『 鎖につながれた象 』 を聞かせた後にこんなことを言います。
みんな少しずつこの象のような部分をもっている。自由を奪う何百という鎖につながれたまま生きているんだ。
君は、あの象と同じように記憶の中に “できない、今もできないし、これからもずっとできない” というメッセージを刻み込んでしまったんだ。
記憶に縛られて生きている。
できるかどうかを知るには、もう一度、全身全霊で取り組んでみるしかない。全身全霊だ!」
ホルヘ・ブカイ著 麓愛弓訳『 寓話セラピー 』より
想いは伝えてみなきゃどんな反応するかなんて誰にもわからない。だから全身全霊で行ってこい!過去に捕らわれずに、前を向いて行けと背中を押しました。
もし鎖で繋がれている人が居たら、「その杭は、その気になれば簡単に抜けるんだぜ」って教えてあげるし、自分で外せない足枷なら、外すのを手伝ってあげようと思うわけです。
過去に捕らわれて未来が詰まらないモノになってしまっては哀し過ぎますよね。足枷が外れたラジュの映像を見て、今はのびのびと過ごしているように見えますよね。たった一度の人生ですから過去は過去として一旦置いといて、自分の嵌めた足枷なら、自身を解き放してみてはどうでしょう。
過去は変えられないけど未来は変えられる!
鎖に繋がれた象
というお話でした。
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ゲツコーギルド合同会社 CEO兼プロデューサー
2016年に東京下町から瀬戸内の離島に移住。クリエイターの働き方や人財育成、再生、地域でのクリエイティブやICTを活用したブランディングや地域創生、事業再生を得意としたプロデュースやディレクションで活躍中。メガネ&広島弁や伊予弁など方言女子が大好物。個人的には懐古的なモノがスキ。ネガティブ属性だがユーモアを忘れない。1970年 江戸下町産。