オッカムのカミソリ

オッカムのカミソリ ~ シンプルな選択

オッカムのカミソリ

Occam’s razor

人生は度々「道」に例えられる。この道は険しいのか、正しいのか、このまま進むべきなのか…仕事でもプライベートでも選択を迫られることがあり、人生の岐路に立たされる。今回は決断すべき時というお話。

僕は視野が狭くならないようにクリエイターやエンジニアと交流するように心がけているのだが、交流する時いつも感じるていることがある。それは悩みや迷いといった言い知れない不安と落胆にも似た思い。

フリーランスは同業者との交流が少ないせいか、誰かに相談したり吐きだせずに溜め込む傾向が強く、きっと頭の中で何回もぐるぐると考えているうちに疲れてしまったのだろう。人によっては「この人大丈夫かなぁ」と心配になるほどだ。

会社に勤めている時は上司や会社が判断して命令を下すので、自身が決断する機会が少ないので気付かなかったのだろうが、フリーランスや起業すると、すべてを自身で判断しなきゃならないし、その選択が進路を左右することもあるので立ち止まってしまう。二の足を踏んでしまうのも無理からぬことながら、決断しないと先に進めず期限も迫ってくる。そういうジレンマの中で自身が如何に優柔不断かを思い知らされる。

いろんなシーンで決められない人に『 オッカムのカミソリ 』の話をよくする。
『 オッカムのカミソリ 』とは、14世紀のイングランド、オッカム(地名)の神学者で哲学者の ウィリアム が提唱した原理。

(原文)
必要が無いなら多くのものを定立してはならない。
少数の論理でよい場合は多数の論理を定立してはならない。

『 オッカムの剃刀 』より

というもの。
これだと何のことやらさっぱりなので、もうちょっとわかりやすく嚙み砕いて言うと、

ある事柄を説明するためには、必要以上に多くを仮定するべきでない
(物事をシンプルに捉えよう)

という考え方だ。

迷ったときは、よりシンプルな方を

つまり “ Simple is best! ” 例えば、ある問題を解決しようとする時、”A”と”B”という選択肢が用意されてる場合、よりシンプルな方、直感でそう感じる方を選べと言うこと。

迷って選択できないのは、物事を複雑に考え過ぎているからで、多くの場合、それは意味のないことだというのが『 オッカムのカミソリ 』の本質。

先のようにAとBで例えるなら、”A”と”B”という選択肢に、さらに”C”という選択肢を加えるようなもの。
問題解決の本質は、AかBかを選べば済むことなのに、余計なことを考え過ぎて本質からズレてしまう。
物事を複雑にしているのは自分自身ということなのです。

問題をより複雑化させれば不確定要素が増え、いたずらに時間が引き延ばされ、問題を悪化させるばかりか手遅れになることだって考えられます。

これってデザイン案によく似てると思いませんか。
“A案”と”B案”の提出を求めらて提出すると、それを元に”C案”を要求され、最終的に出来上がったものはAでもBでもCでもなくDだった…みたいな。

結局、選択肢が多くなればなるほど人は決められないのです。
余計なものはカミソリで削ぎ落し、シンプルに、直感に従って決断を下せばいい。

いくら考えたって答えが出ないものもある。
どの選択が正しいかなんて、その時点ではわからないし、どちらの道が正しいかを試すこともできないし、もしこっちの道を選んでいたら世界はこう変わっていた、なんて比較することもできない。

問題に直面したとき、いろいろ考えて検討やシミュレーションをして、思い悩む時間は問題解決のプロセスとして重要だし、必要な時間だと思う。
何も考えずに雰囲気やノリで決めるべきものではないが、しかしいつまでも考えるばかりで決断を下さず、放置するわけにもいかない。

いずれにしても、いつかは決断しなければならないのです。

迷った時は、この『 オッカムのカミソリ 』を思い出して欲しい。余計なものは削ぎ落として、よりシンプルな道を…

オッカムのカミソリ

というお話でした。

~ 本文で紹介された書籍をご紹介 ~

(SFシリーズ3短編集) オッカムの安全剃刀 文曲シリーズ