自由になりたい
The Red Shoes of Revolution
自由になりたい。誰かに決められるのではなく、自分で決めたい。そんな願いは、今を生きる人たちにとっても、決して珍しいものではありません。けれど、自由を手に入れた瞬間から、ひとつの厄介な問いが始まります。フランス革命が起こり、それまで当然だった身分秩序は大きく揺らいでいきます。自由とは、好きな道を歩けることなのか。今回は、「その先」っていうお話。
赤い靴は、誰のものだったのか
18世紀のフランス宮廷。そこでは、服装は単なるファッションではありませんでした。
どんな服を着るのか。どんな布を使うのか。どんな装飾を身につけるのか。そうしたものが、社会の中での立場を示す重要な手がかりになっていました。
メトロポリタン美術館によれば、ルイ14世の時代のフランス宮廷では、男女が赤い革のヒールを履くことが求められており、その流行はヨーロッパの主要な宮廷にも広がりました。
また、17世紀にフランス宮廷のスタイルとして生まれた赤いヒールは、18世紀を通じて貴族的な装いとして扱われていました。つまり、赤い靴は「好きだから履く」というだけのものではなかったのです。そこには、「私は、この社会のどこにいるのか」という情報まで含まれていました。
今の私たちからすると、少し不思議な話です。靴は足元にあるだけなのに、その人の身分まで語ってしまう。しかし考えてみれば、現代にも似たものはあります。
肩書き、ブランド、資格、会社名、フォロワー数、実績。人はいつの時代も、自分が何者なのかを、何かに託してきたのかもしれません。
クリエイターにとっても、これは他人事ではありません。
「有名な会社の仕事をしている」「大きな案件を担当した」「フォロワーが何万人いる」「この賞を取った」。
そうした実績は、もちろん大切です。けれど、それらがなくなったとき、自分には何が残るのでしょうか。
誰かから与えられた肩書きではなく、「自分は何を作りたいのか」と問われたとき、初めて見えてくるものもあるはずです。
革命が変えた「身につけるもの」
1789年、フランス革命が始まります。革命は政治や社会の制度だけでなく、人々の服装にも影響を与えました。フランス革命期のファッションでは、衣服が単なる装いではなく、政治的・社会的な立場を示すものになっていきます。それまで身分を示していた服装が、今度は「どちら側に立っているのか」を示すものになる。服は、社会を映す鏡だったのです。
たとえば、第三身分に加わったミラボーは、貴族的な絹やレースの装いではなく、黒いウールと簡素なリネンの服装を選びました。何を着るかという選択そのものが、政治的な意味を持つようになったのです。
そして1789年8月26日には、「人間と市民の権利の宣言」が採択されます。その第1条には、人間は自由かつ権利において平等に生まれ、社会的な区別は公共の利益に基づく場合に限られる、という原則が掲げられました。
身分によって人生が決められる世界から、「人間は自由である」という理念へ。時代は大きく動き始めます。
これは、クリエイターの世界にも少し似ています。昔なら、会社に所属して仕事をする。師匠について技術を学ぶ。出版社や制作会社から仕事をもらう。そんな決められたルートが中心だったかもしれません。もちろん今でもそうした働き方はあります。
一方で、個人で作品を発表し、SNSで顧客とつながり、自分で仕事を受注し、自分の名前でサービスを提供することもできるようになりました。選択肢は、確実に増えています。けれど、選択肢が増えたことと、迷わなくなることは別の話です。
自由は、意外と重たい
誰かが「あなたはこう生きなさい」と決めてくれる。それは、とても窮屈です。けれど同時に、「自分は何者なのか」を自分で決めなくてもいい世界でもあります。
ところが、古い枠組みが壊れる。「好きにしていい」と言われる。一見すると、最高に自由です。でも、その瞬間から別の問いが生まれます。
「では、何を選ぶ?」
仕事はどうするのか。どこで生きるのか。何を信じるのか。何を作るのか。誰と歩くのか。自由になった瞬間、人は「選ばされる」ことから解放されます。しかし今度は、「選ぶ責任」を引き受けなければならない。
これは、クリエイターにとって特に身近な問題かもしれません。
「好きなものを作っていい」と言われても、何を作るのかは自分で決めなければなりません。
「フリーランスになれば自由」と思って独立しても、仕事を取るのも、価格を決めるのも、スケジュールを管理するのも、最後に責任を負うのも自分です。
「会社に縛られたくない」と思って始めた活動が、気づけばSNSの数字に縛られていることもあります。再生数、いいね、フォロワー、売上。
かつては会社や上司が決めていた「評価」が、今度は数字という別の形で現れる。だから、ときどき立ち止まって考えたほうがいい。
「自分は自由になったのか。それとも、別の何かに従うようになっただけなのか」
自由とは、単純に「何でもできる」ということではありません。選択肢が増えるほど、自分で決めなければならないことも増えていく。だから自由は、軽やかに見えて、案外重たいのです。
赤い靴を脱いだ、その先へ
赤い靴は、かつて身分や権威を感じさせる装いでした。しかし、時代が変われば、その意味も変わります。
革命期のフランスでは、服装や色彩までもが政治的な意味を持つようになりました。三色旗や三色のコッカード、革命を意識した衣服などが登場し、人々は身につけるものを通じて自分の立場を表現するようになります。
面白いのは、靴そのものが人間を決めているわけではないということです。人間が、その靴に意味を与えている。
赤い靴を履いているから偉い。
赤い靴を履いているから貴族だ。
そんな時代が終わっても、人はまた別の「赤い靴」を作ります。肩書き、ブランド、数字、実績、フォロワー、評価。今度は、そんなものを身につけて、「私はこれだけの人間です」と、自分や他人に示そうとする。
クリエイターなら、「有名な案件をやったから一流」「フォロワーが多いから価値がある」「売れているから正しい」といった基準に置き換えることもできます。もちろん、それらは努力の結果であり、価値のあるものです。
ただ、それだけが自分の価値になってしまうと、その数字がなくなったときに、自分自身まで失ったような気持ちになってしまう。
だからこそ、自由になったあとに必要なのは、「どんな靴を履くか」ではなく、
「どこへ歩いていくのか」
なのだと思います。
誰かに評価されるためではなく、自分は何を作りたいのか。何を残したいのか。誰に届けたいのか。そして、その選択を自分の言葉で説明できるのか。
そこまで考えて初めて、「自分の道を歩いている」と言えるのかもしれません。
ちなみに…
フランス革命の「赤い靴」という名前の有名な史実があるわけではありません。ここでいう「赤い靴」は、フランス宮廷で身分や権威を象徴した赤いヒールと、革命によって変化した服装の意味を重ね合わせたモチーフです。
赤い靴を脱いだからといって、自由になるわけではない。自由になったあと、自分の足でどこへ向かうのか。その道を決めることこそが、自由なのかもしれません。
誰かに用意された道ではなく、自分だけの道を歩いていこう。
自由になりたい
というお話でした。
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(参考・出典)

ゲツコーギルド合同会社 CEO兼クリエイティブ・コンサルタント
約30年ほど前、インターネットの黎明期から企画・マーケティング、システムやネットワーク開発など、文字通りWEB業界を創ってきました。徐々に大規模プロジェクトが増えたことに伴い、プロデュースやディレクション、コンサルティング、マネジメントを求められるようになり、東日本大震災をきっかけに、フリーランスの地位向上と働き方の創出のために制作ギルドを創立。配信やセミナーなど育成や再生も開始し、デザイナーやコーダーはもちろん、ディレクターやプロデューサーも数多く輩出しています。