アリとキリギリス

アリとキリギリス ~ 本当に悪いのは誰か

悪者を一人に絞る危うさ

The Ant and the Grasshopper

アリとキリギリスの結末を、覚えているでしょうか。夏に遊び暮らしたキリギリスは、冬に食料を乞うても拒まれ、命を落としてしまいます。自業自得とはいえ、あまりに重い結末です。ここで、少し立ち止まってみましょう。悪いのは本当にキリギリスだけなのでしょうか。今回は、「責任の分け前」というお話。

夏の報い

「アリとキリギリス」は、イソップ童話のひとつです。夏の間、アリは冬に備えて働き続け、キリギリスはバイオリンを弾いて歌って過ごします。やがて冬になり、食料を失ったキリギリスは、アリに助けを求めます。

しかし、アリの返事は冷たいものでした。「夏は歌っていたのだから、冬は踊ればいい」と言って、扉を閉めてしまいます。そして、キリギリスはそのまま凍え死んでしまうのです。

ちなみに、この物語はもともと「アリとセミ」でした。セミがなじみのないヨーロッパ北部で翻訳される過程で、キリギリスに変わったと言われています。

悪いのは誰か

もちろん、キリギリスに非がないとは言えません。冬が来ることは、誰にでも分かっていたはずです。それでも備えをせず、働くアリをあざ笑っていたのですから、自業自得と言われても仕方ありません。

しかし、アリはどうでしょうか。夏の間、キリギリスの歌は、アリにも聞こえていたはずです。その歌に励まされたり、癒されたりした日は、一度もなかったのでしょうか。さらに、冬の食料は、アリの巣にあふれていたはずです。そのわずかな一部を分ければ、キリギリスは命をつなげました。それでも扉を閉めたのは、アリ自身の選択です。

つまり、キリギリスは「備えなかった罪」を、アリは「見殺しにした罪」を、それぞれ負っているとも言えます。

勤勉と創造のすれ違い

この物語が冷たく感じられるのは、「歌」に値段が付いていないからかも知れません。アリにとって、食料は目に見える価値です。一方、キリギリスの歌は、その場で消えてしまう価値です。

クリエイターの仕事も、これとよく似ています。成果物が形になるまでは、遊んでいるように見られがちです。そのため、制作の価値は軽く扱われ、いざ困ったときに誰も助けてくれない、ということが起こります。だからこそ、創る側にも「備え」が必要です。

作品に正当な対価を求め、冬に備えた蓄えを持つ。それは、創作を続けるための最低限の責任です。

一方で、価値を受け取る側にも責任があります。夏の間に歌を楽しんだのなら、冬に食料を分けるのは「施し」ではなく、対価の後払いと考えることもできます。実際、現実のアリの社会では、働かない2割も切り捨てられることなく、集団の中にいます。そうした「ゆとり」を抱えていることが、組織を長く存続させているのです。

ちなみに…

ちなみに、この物語の結末は一つではありません。児童書では、アリが食料を分けてあげる版や、歌と引き換えに一緒に冬を越す版もあります。

一方、外国版のほとんどは原作に近く、アリはキリギリスを助けないと言われています。結末をやわらかく書き換えたくなるのは、あの冷たさに、私たち自身が居心地の悪さを感じるからなのかもしれません。

物語の悪役を一人に決めた瞬間、本当の問いは見えなくなる。

責任の分け前

というお話でした。

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参考・出典

HONCIERGE「童話『アリとキリギリス』から読み取る解釈。3つの結末とともに考察!」

tenki.jp「アリ VS キリギリス!」(七十二候「蟋蟀在戸」)