老人と海
The old man and the sea
日々の勉強が欠かせないこの業界で、食べていくために必死で様々な技術を習得しようと脇目も振らずに突き進む。しかしその技術を習得することがいつしか目的となってしまい、技術を習得したことで満足しちゃうことってありませんか。今回はココから本番というお話。
今回は有名な小説、 アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ( Ernest Miller Hemingway ) の『 老人と海 』をこの業界に重ねてみたいと思う。読んだことがない方のために、かいつまんでみましょう。
年老いた漁師は84日間、不漁が続いていた。助手の少年が用意してくれるちょっとした食事と朝のコーヒーだけで過ごす日々が続き、助手の少年も40日を過ぎたころから親の命令で他の船を手伝うことになる。
85日目、ついにカジキマグロを釣り上げるが、仕留めた獲物が大物過ぎて船に揚げることが出来ずに、横腹をモリで突いた状態で引きずるように海岸に戻ることに。
しかし、陸へ向かう途中にサメに何度も襲われ、港に辿り着いた時には、巨大で良質なカジキマグロは骨だけになっていた。
参考:ヘミングウェイ 著:『老人と海』 より
何ともやりきれないストーリーです。
余裕で一冬越せるだけの大物を久しぶりに釣り上げたのに、一人で船に揚げる術がなかったために、とうとう骨だけを残して船ごと根こそぎもっていかれるという、老人にとっては泣くに泣けない状況。肩を落としたことでしょう。
大事なのは”それから”
冒頭の問い掛けのように、みなさんも食べていくために必死で技術を習得しようと日頃から努力し、アンテナも張って情報収集していると思いますが、これは手段であって目的ではないはず。だけど習得した達成感で、その後どう役立てるかまでは考えず、そのまま気付けば手元には何も残っていない。そう、カジキマグロのように。
この物語で肝心なのは ”それから” なんだって事を暗に言わんとしてる気がしてならない。
カジキマグロを釣り上げたものの、それをどうやって無事港まで連れ帰るか、ここからが新たな挑戦に繋がってると言ってる様に思える。
この業界で例えてみましょう。スキル上げや知識の向上、情報収集、交流などの目的でセミナーや交流会イベントに参加。でもイベントに参加したところでスキルは上がらないし、交流だって深まらない。ただそんな気がするだけで、実際には参加前とあまり変わってない。 問題なのはイベントに参加した後、この先その経験をどう活かすかを考えて行動することです。
孤独との闘い
他にもこの小説から学ぶことはいくつかあります。
例えば不漁になってから40日目以降、助手の少年が来なくなり、老人は独り言が増えていることに気付きます。これではダメだ、全部自分でやらなきゃダメなんだと。
「あの子がついていてくれたらなあ」と一人で漁に出るようになってから始まった独り言を口にするが「何を言うんだ、お前には少年はついていないんだ」と老人は思い直す。
出典:ヘミングウェイ 著:『老人と海』 より
「お前にはただお前だけしかついてはいない。なんとしてでもやるんだ、さあ、いますぐ」
フリーランスになってから、誰にも頼れない、誰も助けてはくれない、自分で解決しなきゃいけない、自分で何とかしなきゃいけないんだ…こういう思いになった人は多いだろう。自分を鼓舞するために弱音を打ち消すように敢えて声に出したこともあるかもしれません。
僕自身、弱気になることは何度もあるし、それは今だにあります。
その度に弱い自分を振り払うように頭を振り、膝を叩いて立ち上がり、自身に言い聞かせるのです。
誰も変わってはくれない、誰も手伝ってはくれない、自分でやるしかない、ダイジョブ、今まで乗り越えてきたじゃないか、今回もきっと上手く行く…よし!
老人はカジキマグロが骨だけになり、さぞ残念だったろうし落胆しているだろうと思いきや、陸に戻って意外な反応を見せます。
老人は陸に戻り、「みんな、俺を探しに出たかい?」と少年に聞くと、「ああ。沿岸警備隊と飛行機が出たよ」などと応えた。老人は会話をするうちに話し相手がいることがどんなに楽しいことなのかを理解する。
出典:ヘミングウェイ 著:『老人と海』 より
フリーランスになると、半ば引き篭もりで孤独に作業することが多くなる。忙しくなくても親しい人たちと時間が合わなかったり、相手が忙しかったりで結局独りで居ることが多くなり、SNSが唯一、社会との接点みたいな人も少なくない。
音楽やラジオ、テレビを聞き流しながら、ふと気付くと独り言をつぶやいていて凹み過ぎて笑えることすらある。
自由に動けるはずのフリーランスがスケジュールに縛られて予定が立てられなかったり、残した仕事が気になって出掛けられなかったり、ただただ疲れてゴロゴロして一日を終えるとか、フリーランスのデメリットと言えるかもしれない。
老人は海上でたった独りでカジキマグロと格闘し、仕留めたあとも独りでサメと何度も格闘した。それ以前にも84日間の半分以上を独りで漁に出ていて、不漁で帰ってくる毎日を繰り返していた。さぞ孤独でやっぱり怖かったろうし、寂しかっただろう。
カジキマグロをサメに横取りされたことよりも、骨だけ残った小舟を仲間の漁師に笑われたり、少年と会話できたことにホッとした老人の姿がフリーランスのそれと被る気がして、老人の気持ちはなんとなく察することはできる。
この小説はいろんなことを考えさせてくれました。
みなさんはどんな環境で働いていますか。毎日不安の中、孤独に寂しく作業していませんか?
もし老人と同じような気持ちのクリエイターが居たら、最後の砦としてQrious(キユリアス)があることを覚えておいてください。スキルアップも日頃の作業も、同じような思いを持って集まった仲間がいます。
この先どうするか。そう、ココからが本番です。
老人と海
というお話でした。
~ 本文で紹介された書籍をご紹介 ~
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ゲツコーギルド合同会社 CEO兼プロデューサー
2016年に東京下町から瀬戸内の離島に移住。クリエイターの働き方や人財育成、再生、地域でのクリエイティブやICTを活用したブランディングや地域創生、事業再生を得意としたプロデュースやディレクションで活躍中。メガネ&広島弁や伊予弁など方言女子が大好物。個人的には懐古的なモノがスキ。ネガティブ属性だがユーモアを忘れない。1970年 江戸下町産。