賢者の贈り物

賢者の贈り物 ~ すれ違いのサプライズ

賢者の贈り物

The Gift of the Magi

僕はサプライズが嫌いだ。本質が悲観的でリアリストな性格と体験しなくてもいいような経験をしてきたので、大概のことでは驚かないし、素直に嬉しいと喜べないことが顔に出てしまうくらいリアクション貧乏で、驚かされるとイラつく質だからです。今回は切ないサプライズというお話。

アメリカの小説家 オー・ヘンリー氏(O. Henry, 1862年9月11日 – 1910年6月5日) の短編小説『 賢者の贈り物(原題:The Gift of the Magi) 』はご存知でしょうか。
今月はクリスマスの月ですので、クリスマスにまつわる話をしようと思います。

貧乏な夫婦が、ある年のクリスマスにそれぞれプレゼントしようと、買うお金を工面する。妻は夫が祖父の代から受け継がれている懐中時計に鎖がついていないので、懐中時計を吊るす鎖を買おうと自慢の髪をバッサリ切って売った。 一方、夫は妻の美しい髪に似合う鼈甲(べっこう)の櫛を買ってあげようと、代々伝わる懐中時計を質に入れてしまう。

この一見愚かに見える行き違いは、最も賢明な行為だと締めくくられている物語です。

お互いがお互いのことを思い、そのお互いを思いやる気持ちがサプライズという形で伝えようとしたところ、まんまと裏目に出てしまったという、なんとも切ない物語です。

もし仮に僕がどちらかの立場に立った時、相手の自慢のモノや大切なものを手放してまで、自分のために何かして欲しいとは思わない。懐中時計は持っていて欲しいし、キレイな長い髪は切らないで欲しい。
勿論、お互いの気持ちは理解できます。しかしサプライズでなければ、相手はどちらも反対したに違いないし、プレゼントはなかったかもしれないけど、お互い大切なものは失わず、得難いものを得られたクリスマスになったでしょう。

なんでもかんでも言葉にすればいいってモノでもないし、情緒は大切だと思いますし、サプライズの思い出こそが賢者の贈り物だとすれば、それは理解できます。

自分の大切なものを手放すことよりも、相手が大切なものを失ったことが、なんともやりきれないモヤモヤした気持ちが残ります。

相手をそんな気持ちにさせちゃうサプライズって、果たして意味を成すのでしょうか・・・

櫛を貰った妻が「わたしは髪が伸びるのが速いのよ」って泣きながら笑顔を見せるシーンが容易に想像できて印象的です。
その後、妻は鎖を見せて「さぁ、時計につけてぶら下げて見せて」と夫に言います。
やり切れませんね。やるならキッチリとサプライズになるようにしないと…なんて愚かな行き違いなんだと、小説ながらイラっとさえしてしまう。

僕はサプライズが嫌いです。

賢者の贈り物

というお話でした。

~ 本文で紹介された書籍をご紹介 ~

賢者の贈り物 【日本語/英語版】 きいろいとり文庫