アビリーンのパラドックス
Abilene paradox
おもんばかる、気を回す、下種の勘繰り…などなど、相手の気持ちに勝手に先回りして推し量る表現はいくつかあります。以前書いた『 沈黙の螺旋(Spiral of Silence)』でも似たような話をしましたが、今回は穿ち(うがち)過ぎというお話。
今回のテーマ「穿ち(うがち)過ぎ」というのは、言い換えると深読みのし過ぎとか気の回し過ぎとか、勘ぐり過ぎというような意味。
色々と考え過ぎちゃって本意じゃないけど、みんながそれでいいなら自分が折れようと勝手に脳内で自己完結した様で、勝手にということろがポイント。
穿ち過ぎた結果が悲惨だった例を紹介しましょう。
8月の暑い日、ある家族が団欒していた時のこと、父親がみんなが詰まらなそうにしているのを見兼ねて、夏休みだからどこか旅行に行かないか?と提案する。
そして53マイル(約85㎞)離れたアビリーンへ旅行先が決まった。
アビリーンにはさびれたレストランが1軒あるくらいで他には何もないところ。実はこのとき、誰もがその旅行を望んではいなかった。にもかかわらず、お互いが家族の中で自分だけ行かないとは言い出せずに、家族の誰かが行きたいなら行くしかないかと腹をくくって、渋々同意していたのだ。
道中は熱く、砂埃が酷くて快適とはほど遠いものだった。結局、その酷い旅行から帰ってきてから、提案した父親も含めて誰一人として、アビリーンへは行きたくなかったという事実が発覚した。
この話は『 アビリーンのパラドックス 』と呼ばれる集団心理の一種。
会社や組織のビジネスシーンでもこういうことは有り得る。誰かが言った提案、しかも本人ですらあまり乗り気じゃない提案をして、それに反対する者が一人も居なかったがために、事を荒立てたくないという事なかれ主義、あるいは流されるままに決まった方へと流されていく日和見主義が生んだ悲劇。それぞれの本意や思惑とは違う方向へと向かい始める。
しかもそれはお互いが気を回し過ぎた言わば善意によって、おいおいマジかよって状況にどんどん進んでしまう。でも疑問が一つ…父親はなぜ、退屈そうにしてる家族に更に追い打ちを掛けるがごとく、退屈そうで自分でも行きたくもない場所に「行くか?」などと誘ったのか。旅行ならもっと他にいくらでも行く場所があっただろうに…
いや違う!膠着状態を終わらせるために心理的バイアスを掛けたのか!やるな親父!楽しくない場所を提案すれば逆方向に心理が働き、いやいやそりゃないわwwって言う答えを引き出す作戦だったに違いない…などと穿ち過ぎてみる。
いずれにしても、こんな状況になったら的確なツッコミを入れてくれる関西人を召喚しよう。「あかーん」「なんでやねん」で片付いちゃうだろう。なんて羨ましい特性なんだ。
アビリーンのパラドックス
というお話でした。
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ゲツコーギルド合同会社 CEO兼プロデューサー
2016年に東京下町から瀬戸内の離島に移住。クリエイターの働き方や人財育成、再生、地域でのクリエイティブやICTを活用したブランディングや地域創生、事業再生を得意としたプロデュースやディレクションで活躍中。メガネ&広島弁や伊予弁など方言女子が大好物。個人的には懐古的なモノがスキ。ネガティブ属性だがユーモアを忘れない。1970年 江戸下町産。