沈黙の螺旋
Spiaral of silence
多数決で自分の考えとは違った意見が優勢だった時、自分の意思とは裏腹に大勢に組するってこと、今までありませんか? 良く言えば協調性と言えなくもないが、でも日本人のダメなところでもありますよね。今回は沈黙というお話。
多数決もそうですが、もっと身近でこんな体験をしたことはないだろうか。
みんなで居酒屋に行ってドリンクを注文するとき、ホントは甘いカクテルやサワー系のものが一発目から飲みたいのに「とりあえず生の人!」って手を挙げた人が殆どだったので、ついつい一緒に手を挙げてしまったり、何かデリバリーを頼もうと、自分はカレーが食べたいのにピザが多数派だったから、渋々、ピザに賛成した。
この現象は『 沈黙の螺旋 』といって、提唱したドイツの政治学者エリザベート・ノエレ=ノイマン(Elisabeth Noelle-Neumann)は、何かを決めるときにマイノリティが沈黙させられるというもので、昔から「長いモノには巻かれろ」とか「勝ち馬に乗る」って言葉もあるように、今に始まった現象ではなく「しょうがない」って状況はよくあって、悪く言えば場に流される、良く言えば協調するってことで、そこが日本人のいい所でもあるし悪いところでもある。でも「しょうがないよね」で片付けられないこともあり、時にはマイノリティが声を大にして阻止しなければならない場面もある。
王様は裸だよ
ノイマンは、この「しょうがないよね」を打開する方法があるとも言っている。 それはマイノリティの中に「悪魔の代弁者」を置くこと。悪魔の代弁者とは、多数派にあえて反対する者で、何者にも左右されない自由な意思や発想で発言する人、或いはあえて反対論を役として演じる人を言う。
テンネンでやっていれば空気を読まない人になろうが、メチャメチャ空気を読んで仕掛けるのが悪魔の代弁者だ。空気を読まないいい例えないかなぁと思って、いいのを捻り出しました。
バカには見えない生地で作った洋服を見せられ、その気になった王様はそれを着てパレードに臨むが、パレードを見に来ていた小さな子どもが「王様は裸だよ!」と叫んだ事を切欠に、大衆が「王様は裸だ!」と次々に叫ぶ。その中、王様一行はただただパレードを続ける。
ハンス・クリスチャン・アンデルセン 著 『はだかの王様』より
ハンス・クリスチャン・アンデルセン の『 裸の王様 』のオチ。
ノイマンが「螺旋」という言葉を使ったのは、大勢の意見を螺旋階段のようにぐるぐると回った挙げ句、最終的には1つの意見に集約させるという意味で使ったのだろう。つまり少数意見を排除するのではなく、少数意見の中にも正しいことを言っていることもあるので、議論したうえで結論を集束することが本来あるべき姿だと言ってるように思う。
結論ありきで意図的につくられたマジョリティに何となく乗っかるのではなく、しっかりと議論を尽くして、みんなの意見を引き出していくことが重要で、多数決で多数に乗っかるのは協調性とは違うんじゃないかと自戒を込めて思う。
時には空気を読まずに悪魔の代弁者となってモノ申すことも、重要なことを決める上では必要な時がある。 そう、あの小さな子どものようにね。
沈黙の螺旋
というお話でした。
~ 本文で紹介された書籍をご紹介 ~
You Might Also Like

ゲツコーギルド合同会社 CEO兼プロデューサー
2016年に東京下町から瀬戸内の離島に移住。クリエイターの働き方や人財育成、再生、地域でのクリエイティブやICTを活用したブランディングや地域創生、事業再生を得意としたプロデュースやディレクションで活躍中。メガネ&広島弁や伊予弁など方言女子が大好物。個人的には懐古的なモノがスキ。ネガティブ属性だがユーモアを忘れない。1970年 江戸下町産。