常識という名のメガネ
Who Decides What Is Right
人を食べることは、悪いことだ。おそらく多くの人はそう答えるでしょう。では、なぜ悪いのでしょうか。そんな当たり前のことを問い直す必要はないと思うかもしれません。しかし私たちが正しいと信じていることの中には、育った文化や時代が作ったものもあります。自分が正しいと思っていることは、本当に自分自身で決めたものなのか。今回は、「正しさは誰が決めたのか」っていうお話。
正しさはどこから来るのか
私たちは日々、何が正しいかを判断して生きています。信号を守る、約束を守る、他人を傷つけない。多くの判断は自然に行われます。
では、その正しさはどこから来たのでしょうか。
一つは、法律や社会のルールから来るものです。もう一つは、育った家庭や学校、地域の文化から来るものです。そしてもう一つは、自分自身の経験から作られたものです。
カニバリズムという極端な題材は、この正しさの出どころを考えるきっかけになります。人類史には、儀礼や宗教、極限状態など、さまざまな文脈で語られてきた記録があります。一方で、後世の研究では、植民地主義的な視点による誤解や誇張が混ざっていた事例も数多く報告されており、事実の扱いには慎重さが求められます。
大切なのは、だから何が起きたかという細部ではなく、私たちがそれを聞いた瞬間に、ほぼ自動的に悪いと判断してしまう、その判断の速さ自体に目を向けることです。
タブーが作られる理由
人はなぜ、ある行為をタブーにするのでしょうか。
一つは、安全や生存を守るためです。人間の尊厳や生命に関わることは、文化を超えて守られるべき基準として共有されてきました。
もう一つは、集団のアイデンティティを保つためです。何を食べ、何を食べないかという食のタブーは、どこの文化にも存在します。それは栄養学的な理由だけでなく、私たちはこういう集団だという境界線を引く役割も持っています。
クリエイターの世界にも、同じようなタブーがあります。例えば、他人の作品をそのまま真似てはいけない、クライアントの情報を外部に漏らしてはいけない、といったことです。これらは明文化されていなくても、業界の暗黙の了解として機能しています。
カニバリズム → タブー → 文化による倫理の違い → 常識とは何か → 正しさとは何か → クリエイターの「当たり前」
タブーは、集団を守るために必要なものです。しかし、タブーが常識という名前に変わった途端、なぜそれが正しいのかを考える機会が失われてしまうことがあります。
相対主義の落とし穴
ここで一つのパラドックスが生まれます。
文化によって正しさが違うのであれば、すべての価値観は同じように尊重されるべきである。だが、すべての価値観を同じように尊重するのであれば、他者の尊厳を傷つける行為さえも許容することになる。この矛盾が、文化相対主義が抱える根本的な問いである。
自分たちの常識を疑うことは大切です。自分たちの正しさは絶対ではない、と考える謙虚さは必要です。
しかし、だからといって、何でもその文化では正しければ許される、という立場に立つと、別の問題が生まれます。苦痛や暴力、人間の尊厳に関わる問題までも、文化の違いという言葉で覆い隠してしまう可能性があるからです。
常識を疑うことと、何でも許すことは同じではありません。
この線引きは非常に難しく、明確な答えはありません。だからこそ、私たちは常に問い続ける必要があります。その文化では普通だったから、昔からそうやっているから、という理由だけで正当化してよいのか。それとも、文化を超えて大切にすべき基準があるのか。
この問いは、カニバリズムという極端な例だけではなく、私たちの日常にも現れます。
クリエイターの当たり前を疑う
クリエイティブの現場にも、正しさは誰が決めるのかという問いは溢れています。
これは常識だから、業界では普通だから、プロなら当然だから、昔からこうやっているから。こうした言葉が、知らないうちに誰かの発想や選択肢を縛っていることがあります。
例えば、Web制作の常識、デザインの正解、売れる作品こそが良い作品だという評価軸などです。それらは多くの経験から生まれた知恵である一方で、時代や環境が変われば見直すべきものかもしれません。
正しいと慣れているは、同じではない。慣れは習慣の結果であり、正しさは問い続けた先にしか残らない。
大切なのは、常識を頭ごなしに否定することでも、盲目的に従うことでもありません。なぜそれが常識になったのかという背景を理解し、今の自分たちにとって本当に守るべきものは何かを見極めることです。
自分が信じている正しさが、本当に自分で考えたものなのか。それとも、誰かに渡されたメガネを通して世界を見ているだけなのか。一度立ち止まって、メガネを外してみる時間が、クリエイターには必要です。
ちなみに…
ちなみに、食のタブーに関する文化人類学の研究では、ある集団が他集団を食人文化と記録した事例の中に、実際には儀礼的な埋葬の一部を誤解したものや、敵対する集団をおとしめるために作られた物語が含まれていたことが報告されています。
正しさを判断している自分自身も、何らかの文化や教育、環境の中で作られている。この視点を持つだけで、他者への見方は少しだけ変わります。
正しさを疑え。でも、疑ったあとに何を信じるのかは、自分で決めろ。
正しさは誰が決めるのか
というお話でした。
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(参考・出展)

ゲツコーギルド合同会社 CEO兼クリエイティブ・コンサルタント
約30年ほど前、インターネットの黎明期から企画・マーケティング、システムやネットワーク開発など、文字通りWEB業界を創ってきました。徐々に大規模プロジェクトが増えたことに伴い、プロデュースやディレクション、コンサルティング、マネジメントを求められるようになり、東日本大震災をきっかけに、フリーランスの地位向上と働き方の創出のために制作ギルドを創立。配信やセミナーなど育成や再生も開始し、デザイナーやコーダーはもちろん、ディレクターやプロデューサーも数多く輩出しています。