参加することに意義がある

参加することに意義がある ~ 参加の意義とは

参加することに意義がある

meaningful to participate

今年はオリンピックイヤー…でした。コロナ禍でお忘れかも知れませんけど、オリンピックの開催年でした。延期されましたね。事情が事情だけに延期か中止かは微妙な感じはしますけどね。今回はそのオリンピックにまつわる有名なフレーズについて、持ち前のひねくれた感覚がうずいたので、参加というお話。

このフレーズってなんとなく子どもにかけてあげる慰めの印象がある。例えば運動会の競技でいい結果が出せなかったときとか、何かの試験を受けて合格できなかったときなどに、元気出せよ!的な意味で。

でもなんか使う場面が間違ってやしないかなぁっていう違和感はずっとあって、僕自身ももしかすると使ってたかもしれないし、みなさんも使った経験はあるかもしれない。

このフレーズの原点はオリンピックだということはご存じだろう。そもそも実際はどんな背景やシチュエーションで生まれた言葉なんだろう。
米聖公会主教 エセルバート・タルボット(Ethelbert Talbot)が、1908年にロンドンのセント・ポール大聖堂にオリンピック選手団を招待し、説教したときの言葉がこのフレーズ。

that the Games themselves are better than the race and the prize.

そのオリンピック自体がレースや賞よりも優れているということである

only one may wear the laurel wreath, all may share the equal joy of the contest. 

月桂樹の花輪を身に着けるのはたった1人ですが、誰もが試合の喜びを分かち合うでしょう

参考:Wikipedia(Ethelbert Talbot)

本第4回となるこの大会はロンドンで開催され、そのホスト国であり当時は絶大な力をもって世界に君臨していたイギリスと、急速に国力を伸ばしてイギリスを追いつき追い越せの勢いで席巻していたアメリカが、互いをライバル視して険悪な関係にあった。

こうした状況を危惧し、アメリカ選手団にペンシルベニア大司教として随行していたタルボット大司教が語ったとされている。
でも、みんなの知ってるフレーズではないですよね。意訳としてもちょっと遠すぎます。

このエピソードにはもう一人、これを広めた人がいる。フランスの教育者 クーベルタン男爵ピエール・ド・フレディ(Pierre de Frédy, baron de Coubertin)、その人である。クーベルタン男爵は古代オリンピックを復興、近代オリンピックの基礎を築いた人物で、国際オリンピック委員会(IOC)の初代会長でオリンピックの五輪マークの発案者でも近代オリンピックの父と呼ばれる人物。

そのクーベルタン男爵はタルボット大司教の説教に感銘を受け、各国のオリンピック関係者を招いた晩餐会の席上でスピーチをする。

The most important thing in the Olympic Games is not to win but to participate. Likewise, the most important thing in life is to encourage, not to win. What is essential is not being a winner but a fighting fight.

オリンピックで最も重要なことは、勝つことではなく参加することである。同様に、人生において最も重要なことは、勝つことではなく奮励努力することである。肝要なのは、勝利者になったということではなく健気に戦ったということである。

このこのセリフが『クーベルタン男爵の演説』として有名になり世界に広まってしまい、キャッチーな「参加することに意義がある」が生まれたようだ。

つまり敗者を慰める言葉でも、負け惜しみを擁護する言葉でもないってことです。もちろん、慰めや癒し、落ち込んだ人に寄り添うのは大切なのでそれを否定してるわけじゃなく、本来の意味からすると引用するのはちょっと違和感があるし、言われた方も納得できるとは思えないので、別のフレーズにした方がいいと思うわけです。

参加の意義とは

なんか禅問答のような、アンチテーゼみたいになってるけど、「参加する」ってどういうことなんだろう?
ある活動に興味を持ったり誘われて、その場になんとなく居たらそれは「参加」なのか。行動を伴ってはじめて「参加」ではないのだろうか?行動に移さなければ単なる仲間入りとか加入だろう。

その活動で行動を共にして、役に立ってこそ参加してるってことなんであって、勝ち負けじゃないとは言うものの、じゃぁ負けてもいいやとか、人数合わせでその場に存在したらいいやって言う軽い気持ちとはまた違う。

また、役に立つっていうのも大きく誤解されそうだから言っておくと、みんな一軍で主力として戦えと言ってるわけじゃない。
そりゃそうできるなら活動が加速度的に推進するのでそうして欲しいが、みんなが万能なわけでもないし得手不得手はあるだろう。あくまでできる範囲で行動することが役に立つって言うことだと考える。

例えばデザインやコーディングでバリバリと制作や開発を進められるなら、チームにとっては万々歳だろうけど、チームの安定感は主力のクリエイターだけではつくれない。
それを手伝ってくれるサブ的な存在とか、バックオフィスや運用面でのサポート、SNSやブログなどの情報発信や広報的な役割、問合せ対応や営業などなど、バランスが取れた総合力があってはじめて安定感が出るし、クリエイターも輝けるんだと思う。

つまりは自分のできることで貢献することが「参加」だと、ギルドとしては定義づけている。未熟で仕事はできないけど毎日チャットやTwitterでメンバーの会話を拾っていくことだって、僕は重要な役割だと思ってる。

クーベルタン男爵は晩餐会の席でこんなことも言っている。

Knowing self, self-limiting, overcoming self, this is the duty of the athlete, it is the most important thing.

自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、最も大切なことである

自分のスキルを正確に把握して、向き合って言うことがクリエイターやクリエイターの卵に通ずるものがあるなぁって思わずにはいられない。

ちなみに五輪は5つの大陸を表し、Worldの ” W ” を模している。
輪は和に通じます。表現としてよく使われますよね。Qriousのロゴマークも的(ターゲット)を模してますけど、組織や外の人との和も表現しています。
オリンピック精神でワールドワイドに「和」をもってギルドに参加するクリエイターが集まる集団でありたい。

参加することに意義がある

というお話でした。

~ 本文で紹介された書籍をご紹介 ~

近代オリンピック100年の歩み