シンギュラリティ
Singularity
この6月にソフトバンク社の孫氏は退任を白紙にすると発表した際、その理由としてあげたのが ”シンギュラリティ”。初めて耳にしたその言葉は、今後のキャリアや事業に大きく影響する内容だった。今回は、創造と共存というお話。
まず ”シンギュラリティ” とは何かを簡単に説明しておく。
『 シンギュラリティ: 技術的特異点 とは、AI(人工知能)が人類を超えると言われる転換点の仮設地点。アメリカの発明家で未来学者の レイ・カーツワイル(Ray Kurzweil)が、その特異点は2045年と予言した事で一躍、脚光を浴びることとなった。
孫氏は、この『 シンギュラリティ 』がもっと早い段階で起こると予測し、その特異点を見るまでは辞められないという事らしい。
AIが人類を超えるときって?
でも人類が進化するスピードをAIの進化が上回るときって、具体的にどういうことなんだろう。小説やドラマ、アニメの設定でよくあるやつか。
鉄腕アトムとかドラえもん…いやちょっと違うか。攻殻機動隊やPSYCHO-PASSの方がしっくりくるか。
実際、AIと人類の『 シンギュラリティ 』って、どうなったらそう判断されるんだろう。
例えば、企業の半数以上がAIで賄われているとか、AIの代替に依る失業率が半数以上とか、半数以上の家庭がAIと同居してるとか、2045年にはそういう分かり易い状況になるんだろうか。
最近よく聞くのが、ルーティーン・ワークは機械に取って変わるから失業者が増えるというもの。
まぁ、定型処理は機械の十八番なので可能性は否定しないが、それはこれまでもシステムの領分で、だからと言って事務や経理が大量に不要になる事態にはなっていない。
考えてみて欲しい。AIが実用化されると聞くと何故か作業ロボットのようなものを連想し、人間がAIを使う立場だと勝手に決めつけているが、それっておかしくないか。
人工知能なのだから学習して知識が増え、過去のデータが蓄積されることで経験になれば、人間がやりたがらない作業、面倒臭い作業をAIが自ら進んでやるわけないんじゃなかろうか。
それが必要のない作業と合理的に判断されれば、その作業自体がなくなるだろうし、必要な作業だと判断されれば、それを人間様にやらせるだろう。
つまりシンギュラリティが起こったら、乱暴に言うと人間がAI様にコキ遣われるということなんじゃないのか。
経営者や上司がAIになる可能性もあるし、亡くなってしまう職業もあるかもしれない。セクハラやパワハラ、モラハラはなくなるだろうか。サービス残業やブラック企業はなくなるのだろうか。
いや心がないのだから、デリカシーもなく意識もなく、ストレートに酷いことを言われるに違いない。
AIは疲れないのだから、人間にも同じように働くことを強要するかもしれない。
合理的かつ効率的でないと排除し、完全なる成果主義で競争が激化するかもしれない。ある意味、人間上司よりAI上司の方が数倍恐ろしいかも。
創造と共存社会
シンギュラリティでそういう時代になるか分からないが、でも僕はさほど心配していない。
人はこれまでも発明をしては新たなビジネスを生み出してきたし、その時代時代で、しっかりと立ち位置を決めてきた。
一時的にAIに奪われる作業はあるだろうが、これまでと同じようにAIを含めた世界を創り出していくことを期待している。
なくなってしまう作業や職業より、新たに生み出されるモノの方が価値あるものだと信じている。
人とAIの共存関係の社会、今より便利で優しい社会を創ってくれるだろう。
人がもつ情や思いやり、おもてなし、気まぐれといった、数値化できないモノやこみ上げる感情など、AIが計り知れない部分はまだまだあるだろうし、お互いに得手不得手はある。
昔から餅は餅屋で作業を分担してきた。その文化はこれからも変わらない。
AIが完全であればあるほど、不完全な人間が必要になるはず。
善き隣人として、仲良く共存できると思いたい。
アトムやドラえもんのようにね。
シンギュラリティ
というお話でした。
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ゲツコーギルド合同会社 CEO兼プロデューサー
2016年に東京下町から瀬戸内の離島に移住。クリエイターの働き方や人財育成、再生、地域でのクリエイティブやICTを活用したブランディングや地域創生、事業再生を得意としたプロデュースやディレクションで活躍中。メガネ&広島弁や伊予弁など方言女子が大好物。個人的には懐古的なモノがスキ。ネガティブ属性だがユーモアを忘れない。1970年 江戸下町産。