フィナル・フェリス

フィナル・フェリス ~ 幸せな結末

フィナル・フェリス

Final Feliz

物語の結末は、いつも「めでたし、めでたし」。しかし現実はというと、決して無傷じゃありません。スペイン語で「幸福な結末」を意味するフィナル・フェリス。この響きには、少しだけ、戦い抜いた後の「静かな安堵」と「ほろ苦さ」が混じっている気がします。今回は 幕を引く について。

「幸せな結末」という言葉の力

フィナル・フェリス(Final Feliz)は、スペイン語とポルトガル語で直訳すると「ハッピーエンド」を意味します。スペイン語圏の文化的なニュアンスを含めると、より深い情景が見えてきます。

  • 「Final(フィナル)」: 単なる終わりではなく、一つの旅路や闘争の完結。
  • 「Feliz(フェリス)」: 歓喜というよりは、満たされた状態、幸福であること。

Web制作の現場でも、例えば、当初の要望とは違って修正に修正を重ね、徹夜を繰り返して疲弊や憔悴しきっていても、無事納品してリリースを迎えられれば、ボロボロでも完結する。

しかしニュアンス的に、小説や映画のようにスマートで綺麗な成功(ハッピーエンド)とは言い難いですよね。ボロボロになりながらも、最後に「これで良かったんだ」と苦笑いして決着することを、この言葉は肯定してくれます。

結末は、最後に決まるとは限らない

終わりよければすべてよし」。誰もが一度は聞いたことがあるこの言葉は、実はシェイクスピアの戯曲のタイトルです(原題:All’s Well That Ends Well、1603〜1604年頃)。

物語の主人公 ヘレナは、貧しい医者の娘。彼女は身分違いの貴族バートラムに恋をし、国王の病を治すことと引き換えに彼との結婚を認めてもらう。
ところがバートラムは結婚を拒み、ヘレナを捨てて戦場へと逃げ出してしまう。
それでもヘレナは諦めず、策を巡らせバートラムの条件を満たし、最終的に彼と結ばれる。

一見、ハッピーエンドです。
しかし読み終えると、どこかすっきりしない…。

バートラムの視点に立てば、はっきり嫌いだと告げている女につけ回され、皆の前で恥をかかされたうえに、陰謀によって既成事実を作られて無理やり結婚させられるという話です。

その後、批評家たちの間でも解釈は長年割れており、単純に喜劇として分類しがたい作品として「問題劇」というカテゴリになっています。

つまりシェイクスピアはタイトルで「終わりよければすべてよし」と言いながら、その「よい終わり」が誰にとってのものなのかを、意図的に曖昧にしたまま幕を下ろしているのです。ハッピーエンドというのは、見る角度によって全く違う景色になる。そのことを、400年以上前にすでに描いていたというのが、なんとも皮肉が効いてます。

Web制作現場でも、プロジェクトが完遂したとき、クライアントは満足しているのにチームは疲弊している。あるいは自分は納得しているのに、クライアントの反応がいまひとつ。「誰にとってのフィナル・フェリスか」を意識しておかないと、終わった後にモヤモヤしたものが残ることがあります。

ハッピーエンドは目指すもの。ただ、それが誰のための幸せな結末なのかを、最初から考えておくことが、本当の意味でのフィナル・フェリスに近づく第一歩ではないかと思うのです。

ちなみに…

ちなみに、「Feliz」はスペイン語で幸せを意味しますが、ラテン語の「felix」に遡ると「実り豊か」「縁起がいい」という意味を持ちます。古代ローマでは、成功した将軍や皇帝に「Felix(幸運な者)」という称号が贈られました。幸せとは感じるものであると同時に、積み上げることで得るものでもある――その二面性が、この言葉の語源にしっかり刻まれています。

フィナル・フェリス

というお話でした。

~ 本文で参考にした書籍をご紹介 ~

(参考・出典)