善人と悪人

善人と悪人 ~ リーダーに求められるもの

善人と悪人

Evil people and good people

何か事を興したり成し遂げるには、様々な障害が目の前に壁となって立ちはだかり、それを乗り越えたりぶっ壊さなければならない。それはそれは並大抵の努力では突き進むことができない。そんな時もしあなたならどうする?というお話。

目の前に立ちはだかる壁。例えばそれは固定観念、既成概念と言った前例がないという抵抗だったり、既得権のようにこれで喰ってんだからルールを変えるなど言語道断、まかりならん!というものなどが上げられる。権力を持った人やそれを取り巻くグループや団体、企業でも政治でも何にでも壁は存在する。

この壁を崩すのは容易ではないし、崩せる人物もごく限られたリーダーと呼ばれる存在だけだ。
普通にやっても壁は崩せないし、あの手この手でこちらを篭絡しようとしたり分断させようとしたり、失脚させるためにありとあらゆる手段を講じてくる。
リーダーはそんなことにもめげず、強靭な精神力で立ち向かわなければならない。

清廉潔白であるべきか

リーダーは清く正しくたくましく、清廉潔白で純粋な人。そうじゃないといけない、そうあるべきだと思っているんじゃないだろうか。
でも自分のことを棚に上げ、リーダーとなる人物にだけそれを求めるって、ちょっと虫が良すぎないだろうか。
ちなみに僕は清廉潔白とは程遠く、どちらかと言えば対局に近いと思うし、沢山スネにキズを持つ身だから清濁併せ吞んでると言える。
他のリーダーにも、そういう酸いも甘いも知る人物の方が望ましいと思ってるし、そういう人の方が人間臭いし粋にすら感じる。

前述したように、事を成すには壁があり、それを崩すのは容易じゃない。どんな手を使ってでも阻止する輩も居るし、いろんな手段で妨害工作を講じて来る。
そりゃそうだろう。逆の立場なら自分の喰いブチが奪われようとしてるのだから、それを死守しようとするのは至極当然。汚い手を使ってでも退けようとするだろう。

そんな相手に清く正しい正攻法が通じるだろうか。跳ね退けることが果たしてできるだろうか。
改善するというお題目があれば「善」になり、旧体制を守ろうとするのは「悪」になる。
「悪」の方は存続をかけて知恵を絞り、これでもかというくらいアクティブに動くことだろう。

なぜ壁を崩すことや改善することは容易ではないのか。なぜこれまでの旧体制を変えることができないのか。
それは「悪」の方が生き残ることに貪欲で、そうすることが彼らにとっては正しい行為だと信じているから。
お互いが義は我にあると思っているとしたら、真に強いのはどちらだろうか。

時代劇「鬼平犯科帳」の主人公、長谷川平蔵は正に清濁併せ吞む男で、盗賊にも理がある時には粋に計らう。
そういう物語が沢山ある中で『 善人と悪人 』について真理だなぁと思った話を1つしよう。

「谷中・いろは茶屋」という話の中でこんなフレーズが出てくる。

人間、働きながら遊ぶ生き物さ
悪い事しながら ついつい善いこともするし
善いことをしながら それと気付かず悪いこともする
そういうものさね

悪い人じゃなければ 商売は務まらないんだよ

『鬼平犯科帳2』 池波正太郎 著 文春文庫 第2話「谷中・いろは茶屋」より

どういうシチュエーションのセリフかは実際にドラマでもアニメでも本でも見てもらいたい。

悪事をするのは悪人か

悪人や悪事を推めるわけじゃないが、悪いことをする奴の方が、いろいろ考え、策をめぐらせ、次から次へと思いつく。
経験がある人も居るだろうし、乱暴に言えば営業行為と詐欺行為だって紙一重。その気にさせるという点で違いはない。
悪い人じゃなければ商売は務まらないって言われりゃ、そうかも知れないなって思う人も少なくないはず。
相手の嫌なところ、痛いところを突くのは営業でも交渉事でも常套手段。
有利に事を進めるには、そういった駆け引きも必要だからだ。

そんな悪人でも既得権を守ることで従業員の雇用を守ったり、その地域に貢献したり、儲けた一部を寄付したりして、全体を見れば善いことをついついしてる。

逆に善人でも正しいことをすることで誰かを傷つけたり、路頭に迷わせたり、儲からず借金を重ねたりで、全体を見れば、それと気付かないうちに悪いことをしている。

正に真理だ。
他の誰かが悪人だと言っても、別の誰かにとっては善人だってこともある。
どちらもある側面を見た印象に過ぎないわけで、ホントに大事なのは何を成し遂げなければならないのか。
成し遂げるためにどういう手段で、どういう成果をもたらさなければならないのか。決してキレイごとでは成立し得ない。

相手の嫌がる事、痛いところを突くのも作戦の一つとして持たなければならない。
そういう覚悟もなくリーダーになれば、付いていく人が不幸な結果になるし、目的が達成されなければ、信じていた多くの人達が期待を寄せていた分、落胆が大きい。

成功するリーダーの多くは率先して憎まれ役に徹している。
一点突破するには劇薬が必要な時もある。意図的に爆弾を落とすこともある。
憎まれ役を一身に背負えば、それで全体が纏まる。
悪人は自分だけでいい。もしかしたらそう思っているのかもしれないし、根っからの悪人かもしれない。

強いリーダーがトップダウンで事を進めるのは、ボトムアップではみんなの意見を集約しても物事が進まないと知っているから。
みんなの総意と言えば聞こえはいいが、その中身や実態は目的が薄まってしまった中途半端でいい加減なもの。
物事が進まずに不満が出てきた時、誰かを悪人に仕立て上げないと纏まらない。それが集団心理というものだろう。

結局、味方の誰かを悪人に仕立て上げなければならない。
そんなリーダーは清廉潔白の善人と言えるのか。
リーダーとして、それは正しい行為と言えるのか。

どうでしょう。少しはリーダーに求めるもの、或いは一見悪人と思える人に対して寛容な気持ちになったでしょうか。
全体の経緯や成し遂げた結果で判断しようという気持ちになってくれたら、この雑文の意義はあったでしょう。
ちなみに僕は清廉潔白とは程遠く、どちらかと言えば対局に近いし、沢山スネにキズを持つ身なので清濁併せ吞んでるタイプと言えるでしょう。
他のリーダーにも、そういう酸いも甘いも知る人物の方が望ましいと思っているし、そういう人の方が人間臭くて粋にすら感じます。

ところでみなさんは善人?それとも…

善人と悪人

というお話でした。

~ 本文で紹介された書籍をご紹介 ~