囚人のジレンマ
Prisoner’s dilemma
ホントはもっと質を追求したいのに、予算や納期を詰め詰めにするしかない…そんな不毛な消耗戦に巻き込まれることってよくありますよね。クライアントも制作側も、互いに協力すれば最善の結果が得られるはずなのに、目先の利益を優先しちゃって共倒れ。今回は 合理的な不幸と共創 というお話。
利益を追うほど「最悪」を招く法則
「囚人のジレンマ」とは、1950年に数学者アルバート・タッカー(米:Albert William Tucker、1905年11月28日 – 1995年1月25日)が、同僚のメリル・フラッドとメルビン・ドレッシャーの研究に着想を得て定式化した、ゲーム理論における最も有名なモデルの一つです。
「個々が自分の利益を最大化しようと合理的に行動した結果、全体としては最悪の結末を招いてしまう」という社会現象を分りやすく説明したものです。
例えば、共犯関係にある二人の囚人が「互いに黙秘すれば軽い罪で済む(協力)」と分かっていながら、独房で「自分だけが裏切られて重罪になる恐怖(裏切り)」に負け、結局二人とも自白して共倒れになるという思考プロセスです。
この法則は、経済学、政治学、心理学など幅広い分野で「個人の合理性と社会の合理性の対立」を示す定石として評価されており、それはWeb制作の現場においてもよく起こり得ます。
よくある品質のトレードオフ
クライアントも制作側も「短期的な得」を選ぶと、長期的には双方が損をする。囚人のジレンマとして最も典型的に現れる例を紹介しましょう。
A社(クライアント)
- A1:ちゃんとした予算と期間を出す(協力)
- A2:予算を削り、納期を短く要求する(裏切り)
B社(制作会社)
- B1:丁寧に制作する(協力)
- B2:工数に合わせて手を抜く(裏切り)
ジレンマのマトリクス
| B1:丁寧に制作(協力) | B2:手抜き制作(裏切り) | |
| A1:適正予算 | ◎ 最高のパフォーマンス | △ コスパ悪い(A損 / B得) |
| A2:低予算・短納期 | △ Bが疲弊(A得 / B損) | ✕ 最悪な事態 |
さらに他の例も簡単に見てみましょう。
SEOの軽視
- クライアント:SEOオプションを削る(コスト削減)
- 制作側:言われた通り最低限だけ作る
→ 公開後「検索結果や効果が出ない」と揉める
→ 結局あとになってSEO対策費が倍以上かかる
静的による制作
- クライアント:とにかく費用を削りたい
- 制作側:動的コンテンツを諦めれば工数が減らせる
→ 更新のたびに費用がかかり、運用が破綻
→ 結局CMSを導入して再構築を図る
見切り発車
- クライアント:とにかく早くカタチにしてもらいたい
- 制作側:手間が掛かるので、要件定義の作成工程を削って着手する
→ 後から仕様変更が連発
→ スケジュール崩壊
→ 追加費用で揉める
「見えざる競合」
Web制作の現場でこのジレンマが発動するのは、主に「見えざる競合」の存在です。競合が好条件を提示した際、「案件を逃す恐怖」からさらに好条件で応じる。これは囚人のジレンマにおける「自白(裏切り)」に相当します。しかし目先の受注に成功しても、結果として利益率は下がり、工数は膨らみ、現場のクリエイターが削られる未来しか見えない…。
厄介なのは商取引は駆け引きなので、その見えざる競合は実在するとは限らないのです。つまり心理戦を仕掛けられてる可能性もあって、クライアントも制作側も見えざる競合も疑心暗鬼になっている状態で「合理的な判断」が付いていない状態です。
究極に最悪なのは、業界全体の価値「相場」を下げ、自分自身の首を絞めるという「他責ブーメラン」となって返って来るときです。
「他社が下げるから自分も下げる」
「クライアントが理解してくれないから妥協する」
そうやって自分を守るための防波堤が、いつの間にか「安かろう悪かろう」という負の連鎖を生み出します。一度このジレンマに陥ると、どれだけ働いても心は満たされず、クリエイティビティは摩耗していくばかり。
試合に勝っても勝負に負けていては意味がないのです。
信頼という名の「非合理」を選択する勇気
ではどうしたらいいか…このジレンマを打破する唯一の鍵は、情報の透明性と「継続的な信頼」です。単発の「案件」として捉えると裏切りが合理的になりますが、長く続く「関係」として捉えれば、協力し合うことが最大の利益に繋がることがお互いにわかります。
ディレクターが制作チームを信じ、制作者がクライアントのビジネスを自分事として捉える。相手が自白(裏切り)する不安を拭い去るほどの徹底したコミュニケーションこそが、不毛な価格や納期競争という名の独房から脱出する唯一の術なのです。
ちなみに…
ちなみに、このジレンマの解決策として有名なのが「しっぺ返し戦略(Tit-for-Tat)」です。最初は必ず「協力」し、次からは「相手と同じ行動」をとる。誠実には誠実で、不実には毅然とした態度で。これはまた別の機会に。
囚人のジレンマ
というお話でした。
~ 本文で参考にした書籍をご紹介 ~
(出典・参考)
- 松原望『ゲーム理論の思考法』(日本経済新聞出版)