諦めといて欲しいこと
Give it up
あるクリエイターが「ネガティブは駄目なのか…」——僕にそう問いかけてきた。ポジティブが善でネガティブが悪という風潮がなんとなくあって、それだけでシンドくて消耗してるというのだ。シャレるつもりはないけど、僕も根がネガティブなんで、夢とか希望とか前向きな話がシンドい時もある。今回は 諦めといて欲しいこと というお話。
ネガティブ思考の正体
「ポジティブに考えよう」「前向きに行こう」という言葉は世の中に溢れています。自己啓発本のタイトルを眺めると、まるで明るく元気に振る舞うことが生き抜くための必須スキルかのように。
でも、そもそも人がネガティブに考えてしまうのは、進化の過程で身についた防衛本能に由来しています。心理学では「ネガティビティ・バイアス」と呼ばれるもので、人間の脳はポジティブな情報よりネガティブな情報を強く記憶し、長く引きずるように設計されているのです。
つまりネガティブ思考は「欠陥」でも「性格の歪み」でもありません。生き延びるために最適化された、れっきとした生存戦略で、危険を察知できた個体が生き残ったんですから当然ですよね。
問題はネガティブ思考そのものではなく、「落ち込んでいる自分がいけない」とネガティブな自分を責めるという追い打ちにあり、これが本当に疲弊するループで、ネガティブよりよっぽどタチが悪い。
僕もネガティブではあるけど、そういう風に考えたことはないし、そもそもネガティブが悪いことだって認識もないので、ならば、ネガティブな僕は何を考え、どのように進んでいるのかを晒したら、誰かの何かの役に立てるかもしれないと思って、このブログを気まぐれに始めてみました。
「考え込む」は武器になる
デザインが上がらない。コードが思い通りに動かない。クライアントの要望が腹落ちしない…。
そういうとき、楽観的思考のクリエイターは「まぁなんとかなるっしょ」と先に進む。一方で悲観的思考のクリエイターは「なぜ上手くいかないのか」「もし本番でバグが出たら」「そもそもこの設計は正しいのか」と、頭の中でしつこく転がし続ける。
もちろん度が過ぎれば、手も足も最悪、思考も止まる。自己否定が止まらなくなって作業が進まない、という状態になったら話は別だ。ただそれは「ネガティブが悪い」のではなく、消耗しきった状態が問題なのであって、ネガティブという思考傾向の問題ではありません。
リスクの芽を先回りして摘んでいるのは、ネガティブ思考「なんか引っかかる」という感覚だし、制作現場では、結果的にこれが品質の担保につながります。
「この表現で伝わるだろうか」「もっとシンプルにできないか」と問い続けられることは、むしろクリエイターとして誠実な姿勢だと思います。
後ろ向きでも前に進む
結論を言ってしまえば、「ネガティブをポジティブに変えよう」という発想ごと諦めてほしい。
ネガティブを無理にポジティブに上書きしようとするのは、左利きを右利きに矯正するようなもの。
できないことはないかもしれないが、余計なエネルギーを使うし、利き腕の感覚が鈍る。それに本質はそう簡単には変えられない。
であれば、むしろ「後ろ向きのまま前に進む」という発想の方が、ずっと現実的で持続可能だと思うのです。
ネガティブ思考は、「うまくいかないかもしれない」という想像力が、準備を促し、踏み出しを慎重にし、着地を丁寧にする。だから、ネガティブを捨てなくていい。消そうとしなくていい。ただ「ネガティブな自分はいけない」という思い込みだけ、諦めてほしいのです。
制作チームにポジティブ思考だけだと、プロデューサーやディレクターとしては不安でたまらない。やはり繊細で、疑り深くて、ちょっとしたズレが気になるようなネガティブ思考もいてくれないと。
何事もバランスで、勢いや感覚的に進めることがあってもいいし、逆に慎重に思慮深く進めることがあったっていい。
それは感受性の高さと表裏一体で、どちらも制作や開発の精度を上げる燃料でもあると思います。その燃料を「悪いもの」と決めつけて切り捨ててしまうのは、もったいないと思うのです。
ちなみに…
ちなみに、「諦める」という言葉の語源を辿ると「諦(あき)らかにする」、つまり物事の本質を明らかにするという仏教語に行き着きます。「もうダメだ」という投げやりな意味合いではなく、ありのままをクリアに認識するという意味合いが本来の姿のようです。
「自分はネガティブだ」と諦める(明らかにする)こと。それは敗北宣言じゃなく、自分という素材への正直な観察だ。ポジティブに見せようと盛るより、よっぽど頼りになる出発点になる。
諦めといて欲しいこと
というお話でした。
~ 本文で参考にした書籍をご紹介 ~
(参考・出典)