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Googleに門前払いされた少年が音楽を変える ~ Spotify誕生秘話

蛇口から水が流れるように、音楽を流す

Spotify Origin Story — From a Google Rejection to a Music Revolution

Googleに門前払いされた少年は、腐ることなく、学歴もコネもない少年が、得意だったホームページ制作をクラスメートを下請けとして育て、その収益を元手に起業する。少年が世界を変えられたのは、天才だったからではない。壁にぶつかるたびに、問題と向き合い、それを燃料に変え続けたから。今回は ハングリー精神 というお話。

同級生を「下請け」にした日

1983年 ダニエル・エクは、スウェーデン・ストックホルムの労働者階級の家庭に生まれました。音楽とプログラミングを愛する少年で、14歳のころから企業のホームページ制作を受注し始めました。最初は1サイト100ドルほどでした。しかしすぐに依頼が殺到し、一人でさばける件数を超えてしまいました。

そこでエクは、クラスメートにHTMLとプログラミングを教え、自分の「下請け」として育て上げ、14歳にして、チームを率いる経営者でした。18歳になるころには、月収50,000ドル(約700万円)を稼ぎ、教師より稼ぐ息子を見た両親は「大学は行かなくていい」と言ったほどでした。

その後、エクは、当時急成長していたGoogleへの就職のために応募。しかし結果は門前払い。大学を中退していたことが、採用基準を満たさなかったためとされています。しかしエクは腐りませんでした。「Googleに弾かれたなら、自分で作ればいい」──就職ではなく起業を選択し、そのハングリー精神が、次の行動を決定づけることになりました。

海賊版が生んだ逆転の発想

エクには、ひとつの壮大なアイデアがありました。それは「合法的な手段で、アーティストに利益をもたらしながら、世界中の音楽を誰もが手に入れられるようにする」というものでした。このアイデアに火をつけたのが、1999年にアメリカのショーン・パーカーが開発した音楽ファイル共有ソフト「Napster(ナップスター)」。Napsterは瞬く間に世界中の若者に広まりましたが、著作権問題のためにわずか2年余りで閉鎖に追い込まれました。後にエクは「あの体験がSpotifyの原型を作った」と語っています。

Napsterが消えると、今度はスウェーデン発の海賊版サイト「The Pirate Bay(パイレート・ベイ)」が台頭。違法ダウンロードが当たり前になり、スウェーデンの音楽業界は深刻なダメージを受けました。しかしエクは、この状況を法律で止めることはできないと確信していました。「海賊行為は、立法では解決できない。問題を解決する唯一の方法は、海賊行為よりも優れたサービスを作ることだ」──これがエクの出した答えでした。

その後エクはオンライン広告会社Advertigoを創業し、売却。また、ファイル共有ソフトuTorrentのCEOも短期間務めました。つまりエクはSpotify以前に「広告技術」と「ファイル共有技術」の両方を手中に収めた人物になっていました。この二つの経験が、のちにSpotifyの設計思想に直結することになります。

聞き間違いで生まれた「スポティファイ!」

2005年、エクはAdvertigo売却の縁でTradeDoublerの共同創業者マルティン・ローレンツォンと出会いました。二人は歳の差がありましたが、意気投合して翌2006年に、Spotifyを創業することになります。しかし出発点では、まだ社名が決まっていませんでした。

二人はストックホルムのアパートで、それぞれ別の部屋から会社名のアイデアを叫び合っていました。そしてローレンツォンが何かを叫びました。エクはそれを「Spotify(スポティファイ)!」と聞き間違えました。すぐにGoogleで検索すると、ヒットはゼロ。数分後、二人はドメインを登録しました。──叫んだのはエクだったという説もありますが、正しくは何て叫んだのかは不明ですが、こうしてSpotifyという名前が生まれました。

後に二人は少し恥ずかしくなり、「Spot(場所を見つける)」と「Identify(特定する)」を組み合わせた造語だと後付けで説明するようになりました。しかし本当の由来は、アパートをまたいだ一瞬の聞き間違いが、世界6億人が使うサービス名として、セレンディピティから生まれたのです。

社名が決まると、エクはエンジニアたちに明快な目標を伝えました。「蛇口から水が流れるように、音楽を再生すること」。クリックした瞬間に曲が流れる。待つ必要はない。その目標として設定したのが「0.2秒以内に再生」という数字でした。これは人間の神経が「遅延」と感知する限界の時間だそうで、uTorrent開発者のルードヴィ・ストリゲウスをチームに引き抜き、大企業に弾かれた技術者たちを集め、Spotifyの技術基盤を一気に整えました。「待つなんてクールじゃない」が、チームの合言葉だった。

音楽業界との死闘

2008年のローンチに向けて、エクが直面した最大の壁は技術ではありませんでした。それは音楽レーベルとの著作権ライセンスの交渉でした。「海賊行為を減らし、業界に新たな収益をもたらす」と説得して回りましたが、レーベル各社の反応は懐疑的でした。アポが取れなくなったレーベルの前で、ホームレスのように寝泊まりして待ち続けたりもしました。また、レーベル担当者の子どもが通う学校でSpotifyを流行させるという地道な作戦も実行していました。そうした泥臭い活動を2年間を経て、2008年10月、Spotifyはヨーロッパでサービスを開始しました。

しかしその後も、音楽業界との摩擦は続いていました。なかでも象徴的だったのが、2014年のテイラー・スウィフトによる全曲撤退事件。彼女はアルバム『1989』のリリースに合わせ、Spotifyから全カタログを削除。その理由は明確で「私は自分の人生をかけた仕事を、作曲家やプロデューサー、アーティスト、クリエイターの努力を公正にまかなうと思えない実験に捧げるつもりはありません」──彼女はそう宣言しました。

Spotifyのストリーミング1回あたりの報酬は、当時平均0.006〜0.008ドル程度。つまり2,000万回再生されても、アーティストへの分配はわずか12〜17万ドル程度にとどまります。スウィフトの撤退は、アーティストの権利とストリーミングサービスの収益構造という本質的な矛盾を、世界に突きつけた事件でした。また、ユニバーサル・ワーナー・ソニーのメジャー3レーベルはSpotify楽曲の約7割の権利を持ちながら、当初はビジネスモデルへの疑念を拭えずにいました。Spotifyは数年にわたって、業界全体と戦い続けたのです。

若者とアングラが扉を開ける

メジャーレーベルが慎重な態度を崩さないなか、Spotifyを最初に熱狂的に支持したのは若者層でした。また、インディーズレーベルや自主制作のアーティストたちにとって、Spotifyは今まで届かなかったリスナーへの新たな窓口でした。アングラやマイナーで活動するアーティストが楽曲を配信し、口コミで広がり、徐々に市場が動き始めまし。

こうした動きが積み重なり、やがてメジャーレーベルも態度を軟化させてました。もちろんスウィフトも2017年には全カタログをSpotifyに戻しました。パイレート・ベイに痛めつけられたレーベル各社は、最終的に「合法で便利なSpotify」を選びました。皮肉なことに、海賊版サイトがSpotifyの最大の後押しをしたのです。

ちなみに…

ダニエル・エクはこんな言葉を残しています。「私にとって問題は、悪いだけのものではない。むしろ、価値を創造するためには欠かせないもの」。14歳のころ仕事が増えすぎたとき、クラスメートを下請けとして育て、起業をして成功を収めました。音楽業界でも参入障壁が現れたとき、レーベルの前で野宿したりもしました。

エクにとって「問題」は、常に次の一手を教えてくれる羅針盤と言ってます。なお、エクは2026年1月にCEOを退き、エグゼクティブ・チェアマンに就任しています。創業から20年、Spotifyのユーザー数は7億人を超えました。

Googleに弾かれた少年は、Googleより多くの人の耳に音楽を届ける会社に成長しました。

Spotifyの設立秘話

というお話でした。

~ 本文で参考にした書籍をご紹介 ~

(参考・出展)