ニコラス・ウィントン
Nicholas Winton
今年もこの季節が来ました。毎年クリスマスが近くなると、クリスマスにちなんだコラムのネタを探すんだけど、探すといろいろと出てくるものですね。ロンドンの株式仲買人が、たった一人でナチスの脅威から669人のユダヤ人の子どもたちを救い出し、その事実を50年間、妻にさえ語らなかった。今回は 行動する善意 というお話。
クリスマス休暇に変わった運命
1938年、29歳のイギリス人株式仲買人 サー・ニコラス・ジョージ・ウィントン(Sir Nicholas George Winton、1909年5月19日 – 2015年7月1日)は、クリスマス休暇にスキー旅行の計画を立てていました。ところが友人から一本の電話が入ります。
スイスはやめて、プラハへ来てほしい。難民キャンプで助けが必要だ
ナチス・ドイツがチェコスロバキアに侵攻し、逃げ場を失ったユダヤ人難民が、食料も暖房もないテントの中で凍える冬を過ごしていました。現地の惨状を目の当たりにしたウィントンは一つの確信を持ちます。
子どもたちだけでも、イギリスへ連れ出せないか
各国政府に手紙を送った。しかし返事をくれたのは、イギリスだけだった。条件は厳しかった。子ども一人につき里親を見つけること、そして政府に50ポンドの保証金を支払うこと。それでもウィントンは諦めませんでした。
つまり彼は仕事を辞め、自宅のダイニングテーブルを事務所にして、資金集めと里親探しを一人で始めたのです。
8本の列車
書類を偽造し、公的機関を装い、ときに子どもの生年月日さえ書き換えた。危険を冒しながら、1939年3月から8月の間に8回にわたって列車を仕立てた。そうして669人の子どもたちをチェコからイギリスへ送り届けました。
しかし1939年9月1日、ドイツがポーランドに侵攻する。第二次世界大戦が勃発した。
最大規模となる250人を乗せるはずだった9回目の列車は、国境閉鎖により動けなくなりました。プラットフォームに集まった250人の子どもたちは、そのまま家へ帰され、そしてその多くが、後にホロコーストで命を落とすことになります。
あと二日早ければ、全員助けられた
ウィントンはその言葉を、生涯心に刻み続けました。669人を救った英雄として称えられるよりも、250人を救えなかった後悔の方が、彼の胸を占め続けたのです。
それが50年間、沈黙した理由でした。
50年後、会場に立ち上がった人たち
ウィントンのこの偉業は、妻にさえ語られることなく50年間眠り続けました。1988年、妻グレタが屋根裏部屋のトランクの中から埃をかぶったスクラップブックを発見。そこには669人の名前と写真が記されていました。BBCがこれを知り、ウィントンをテレビ番組に招待します。80歳近い彼は、会場に集まった見知らぬ人々の中に座っていました。そして司会者がこう告げます。
ニコラス・ウィントンに命を救われた方は、どうぞお立ちください
気づけば、周囲のほぼ全員が立ち上がっていました。
ちなみに…
ウィントンが救った669人の子どもたちは戦後、それぞれの国でさまざまな職に就き、家庭を持ち、子や孫を育てました。その子孫は現在、約6000人にのぼるとされています。
また「くまのパディントン」の作者マイケル・ボンドは、キンダートランスポートの子どもたちが名札をつけてスーツケースを持ち列車に乗り込む姿からパディントンのイメージを得たとも言われています。
ウィントンは2015年、106歳で生涯を閉じました。
行動する善意
というお話でした。
メリークリスマス!
~ 本文で参考にした映像をご紹介 ~
(参考・出典)

ゲツコーギルド合同会社 CEO兼クリエイティブ・コンサルタント
約30年ほど前、インターネットの黎明期から企画・マーケティング、システムやネットワーク開発など、文字通りWEB業界を創ってきました。徐々に大規模プロジェクトが増えたことに伴い、プロデュースやディレクション、コンサルティング、マネジメントを求められるようになり、東日本大震災をきっかけに、フリーランスの地位向上と働き方の創出のために制作ギルドを創立。配信やセミナーなど育成や再生も開始し、デザイナーやコーダーはもちろん、ディレクターやプロデューサーも数多く輩出しています。